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ちょっと見て来た | nakagawa takeji

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「この世界の片隅に」

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土曜日にずっと楽しみにしていた「この世界の片隅に」という映画を家族で観に行った。
概要は映画のホームページ に任せるとして、
素晴らしい作品だったこと、是非観てほしいことをお伝えしたい。
そして観た方は誰かにお勧めしてほしい、というかもう地球の裏側までみーんなに観てほしい。
どうして観てほしいかを書くのがどうも難しくて、筆が進まなくて困るのだけれど、
映画を観てすぐ思い出したのが「組み木」作家の小黒三郎さん のことだった。

小黒さんが先々月うちに遊びに来てくれて、
今度一緒に展示をする打ち合わせを兼ね、夕飯を食べながら色々なお話しをした。
たわいのない話から、組み木を始めるまでのこと、子供の頃や兄弟のこと、空襲体験のこと。
「道にロウ石で絵ばかり描いていましたね、
乗り物が好きでね、汽車を描いたり、飛行機を描いたり。
B29なんかをいっぱい描いたね。空をよく飛んでいて、カッコイイと思ったんだね。」
「小学1年生でした。浅草でしたから、焼け出されて、家族で逃げました。
熱くってね、みんな川に逃げた、隅田川がすぐそばで、
家財道具を持ち出すから燃え移って、橋の上の人はみんなダメだったな。
父がバケツに縄をつけて、川から水を汲んで、休みなく家族に水をかけた。一晩中。
それでも火の粉で服に穴が開くんだね。熱風で畳が空を舞っていた。
次の日は、近くの電車がみんな止まっていて、日比谷まで歩いた。
動いてる電車(都電?)にやっと乗れて、親戚の家に避難できた。家族みんな無事でした。」
戦争体験を聞いたのが初めてというわけではなかったけれど、
それを聞こうと思っていたわけでもなく、相手も話そうと思っていたわけでもなく、
なんとなく子供時代の話から、両親が浅草で下駄屋さんをしていたと、
ということは東京空襲の時は?と話が進んでのことだった。
その後、子供だけで新潟に疎開したこと、
父親の実家で下駄を作っていたので、木の仕事を毎日目にして過ごし、
製作途中の下駄を干して乾燥させるために
うずたかく積み上げるのを手伝ったことなどを話してくれた。
「小さい時に体験したことが今につながっているかもしれないね。」
組木を仕事とした今との繋がりを話してくれた。
戦争は多くのものを奪い合い、失い合う。
その中にいながらも一人一人はだからこそ得ることもあるのかもしれない。
そうでなければ悲しくて悲しいだけだ。
やりきれない経験をしながらも生き続けた人々が、
その経験を話せるうちに耳を傾けることがあったら心をすませて聞きたい。
あと20年して、そんな機会もなくなってしまったら、
この映画があることが私たちにとってかけがえのないものなってくれていると思う。

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映画館からの帰り道、なんとなく映画の感想を口にできないで、たあいのない話をしていた。
たあいのない話をしながらも、頭の中では映画のいろいろなシーンが繰り返されていて、
モヤモヤと心を捉えてはなさい。
僕以外もそうなんだろうと思い、
長女がずっと黙っていたので「なんかこう重かったね、いろいろ。」と話しかけると、
「うん、重いね。」
「なにか思うことあったらなんでも話してね」
「うん、・・・・・、わたしは戦争が起こらないようにしたい・・それだけ思った」という。
だよなぁと思った。
この映画は単純ではない、もちろん反戦映画というわけでもない。
その時生きていた人の暮らしや想いを描いたものだ。
子供にとって戦闘機や戦艦は敵味方なくかっこいいものに見えただろうし、
主婦にとっては配給での料理のやりくりが最もな問題で
大変さも工夫をする楽しさもあったのだろう。
戦争を手段として選択しなければなければならない立場もあり、それで潤った町もあった。
ただその決断をしたものの遠く、戦場から離れた暮らしの場も戦争によって翻弄され、
ささやかな楽しみも奪われていく。

主人公すずが奪われたものは、
アニメーション映画を作る人や僕のような作り手たちにとって、自分と重ねると苦しすぎる。
ただ描ければ、ただ作れれば、僕はそれでいいと思っている。
そのことが奪われることは救いがなさすぎるよ。
「戦争が起こらないようにしたい」と思った。単純ではない。
だからこの映画を観ようと思う。何年先も何度も何度も見ようと思う。
娘たちと感じたこのやりきれない気持ちを何度も何度も感じていようと思う。

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筆が動いてきたので、もう一つ、
この映画のキャラクターデザイン・作画監督の松原秀典さんのこと。
僕の東京で個展の時、
松原さんが観に来てくれて閉館時間までいて下さったので、帰りにメシでもということになった。
松原さんと好きなアニメの話になって、
ちょっと古いですけど「オネアミスの翼」が僕のベストですなんて話したら、
「あ〜あれ、駆け出しの頃アニメータで参加しましたよ」と松原さん。
松原さんの年齢をしらなっかったので、え〜と驚いて、てことは「ナディア」もですと。
アニメファンからしたら大変な人だということは知っていたつもりが、
僕が観てきたアニメのあれもこれもか〜と、とても恐縮。
僕の学生の頃に社会現象になった「エヴァンゲリオン」の
作り手側からの貴重な話が聞けたりして感激だった。

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(松原さんのサインが欲しくて、マッキーとボールペン、画用紙を渡すと、
サラサラさらっと書いてくれた僕の宝物。
「適当に書くと後悔するんで・・・」と言いながら動かす手つきは魔法のようで、
完成した時はその場にいた一同から感嘆の声が漏れました。
一枚の紙とペンがあれば人の心を動かす力が、松原さんの右手にはあるんだなぁ。)

今度は中野での個展に来てくれた時、「娘さんはどんなアニメ観ます?」と聞かれたので、
今は「マイマイ新子」が好きみたいと答えると、
「いい映画だよね〜、
片渕監督友達だから会ったらファンがいたって話しておくよ、喜ぶよきっと」と、
「あ〜やっぱり繋がってるんですね。
淡々としているのに話に引っ張る力があって、不思議な世界観を見事に描いてますよね。」
なんて話をした。
そして前回の個展に来てくれた時に「今、片渕監督の新作に関わってるんですよ」と松原さん、
「え〜楽しみですね!、どんな作品なんです?」
「こうの史代さん原作の『この世界の片隅に』って言うんだけどね」
「うわ〜、こうのさんも大好きですよ僕!」と大盛り上がり。
「監督はすごいこだわりの人だから、設定資料だけで本棚何段もで、
間に合うのか今から心配なんだけどね」
「作り手は大変でしょうけど、楽しみすぎますね〜!」
と、待つこと1年、待ちに待って、子供と一緒なんで混む初日は避けて、
1週間遅れでジリジリ待ちわびての観賞なので、
期待のハードルが積み上がりすぎて空気も薄くなってきましたよってほど登りましたけど、
これはもう、ぶっちぎりで期待に応える作品。
とういうかもう、最初に戻って地球の裏側までみーんなに観てほしい。

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『新技芸』展、前編。

11日から14日の日程で、
上海で開催される「新技芸」展に参加するために中国に行ってきました。
「新技芸」展は中国の大学を中心に、
日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、イスラエルの大学などなどの、
若い教員や若手作家の工芸作品を、集めた展覧会です。

日本からは、東京芸術大学、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学が参加し、
武蔵美からは、吉野郁夫さんと僕が作品を出品しました。
さらに各大学から1名が、開会式とシンポジウムに招待されるということで、
初めて中国へ行くことになりました。

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11日は、羽田空港に朝6時半集合で、8時半の出発でした。
時差1時間で、現地時刻10時半に到着、
日本からの参加メンバー4名と話していたら、あっという間に着きました。

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上海の空港に着くと、曇り?と思いましたが、
どうやら大気汚染のようで、モヤモヤとしていました。
日本に帰国後、やたら咳がでるなぁと思ったら、
疲れもあってか熱まで出てダウンしてしまいました。
大気汚染と関係ないかもしれませんが、気持ちもモヤモヤしますね。
さて、空港ロビーに迎えの方が来ていて、車で1時間ほどの上海の中心部に向かいます。

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ホテルに着くと、ロビーに新技芸参加者のブースが設けられていて、
中国側の熱の入れようが伝わってきました。
ちなみに今回の日本参加者の旅費や滞在費は、すべて中国側が持ってくれています。
日本からだけでも7名が参加していて、世界各地からも出品者を呼んでいることを考えると、
大変なことだな〜と、中国の経済力を感じてしまいます。

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11日午後はフリーということで、みんなで観光に出かけました。
どこもかしこもモヤモヤしていますが、ここは上海らしい場所のようです。

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一緒に行った日本からの参加者が、すでに国際色豊かで、
左から、イラン人のサブーリさん(東京芸大卒)、アメリカ人のマギーさん(東京芸大院生)、
そして僕で、写真を撮ってくれているのが東京芸大の三神慎一朗先生です。
多摩美術大学の先生は残念なことに授業があるそうで不参加。
金沢美術工芸大学からの参加の先生たちにはこの後お会いしました。

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上の写真の対岸は、古い建物で、川の両岸での対比を楽しむ場所のようです。
結構暖かじゃんと、薄着でホテルを出た僕と三神先生、川の風が寒くて後悔しました。

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2日目は、ホテルから徒歩で5分くらいの会場で開会式に参加しました。

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東京芸大の三田村教授、金沢美工大の前田学長、
イギリスや韓国、中国の各大学の学長などが挨拶をしました。

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この様子なんで、いかに大きなイベントであるかがうかがえます。

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会場入り口に参加大学が書かれていました。
すべての参加国が明記してあるわけではなさそうですが、いろいろな国がありますね。
ちなみにアメリカは日本では「米」ですが、中国では「美」と書くそうです。
二列目に武蔵美の名前がありますが、「術」という字は「木」「、」の略字で書くのですね。

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今回の展覧会の主催が「清華大学美術学院」で、承催が「上海工芸美術職業学院」です。
この会場は清華大学が今回の展示のために買った場所だとかで、
中国の大学のサイフは計り知れないです。

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どうでしょう?パっと見た会場の最初の印象は、
中国らしさとか国際色豊かといった雰囲気をあまり感じないなぁというのが正直な感想でした。
日本でいうと、日展や日本クラフト展のような雰囲気でしょうか?
これは後に色々な方から聞いてわかったことですが、
この雰囲気はおそらく「東京芸大的」と呼ぶのがよいかもしれません。

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芸大の三神先生の作品。

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清華大学で研究をしている日本人の三田村さんの作品。

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金沢美術工芸大学の高橋先生の作品。

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多摩美術大学の長谷川先生の作品。

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芸大の青木宏憧先生の作品。

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清華大学の潤福先生の作品。

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いつも通りの僕の作品です。

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基本自分が写真を撮っているので、
僕が写っているのは記念撮影になりますね、家族写真でもそうですが。
とても立派な加湿器(写真右)がいくつも置いてあり、作品のケアはとてもに良さそうです。

すごい作品が目白押しでしたが、
写真が綺麗に撮れていたものだけ一部の作品を並べさせてもらいました。
作者の名前もわかる方だけ書かさせてもらいました。
なんとなく雰囲気がわかってもらえるでしょうか?
いろいろな国の先生や作家が参加しているのですが、
聞いてみると東京芸大に留学経験のある方が多いようです。

なぜ、先ほど「東京芸大的」工芸の雰囲気があると言ったかというと、
ちょっと難しい話になりますが、
中国における「工芸」という言葉や概念は日本から輸入したものなのだそうです。

日本の「工芸」の概念が形成されたのもそれほど古いことではありません。
「工芸」の概念は日本の近代化=西洋化と工業化によって形づくられていきました。
明治以前には、美的な「もの」たちは混沌として特に呼び名がありませんでした。
明治時代に西洋化の中「美術」(1873年)という言葉が美的な「もの」たちに与えられました。
その後「美術」の純粋化により、観るだけの「もの」として「絵画」「彫刻」が「美術」になり、
余った「もの」が「工芸」となりました。
また、明治の一時期に輸出工芸として花開いた「工芸」でしたが、
日本の工業化(1890年頃)に伴い「製品」が「もの」の中心になってくると、
その座も輸出製品に明け渡していきます。

ですから「工芸」は、
表現性を高めようとすると「美術」に接近してしまい、
実用性を高めようとすると「製品」に接近してしまって、
立ち位置が常にグラグラとした存在のように感じます。

明治から大正のできたての「工芸」には、
表現に迫った「美術工芸」、柳宗悦が美の標準を求めた「民藝」、突き詰める「デザイン」、
技芸を評価する「伝統工芸」、後に北欧からやってくる「クラフト」などの概念を含む、
多様性を包み込む力がありました。

これらの細かな「工芸」の概念形成の過程で、特に「美術工芸」の分野は、
高村豊周らによる東京美術学校(現東京芸大)の作家の果たした役割は計り知れません。
世界に類例のない「美術工芸」という分野を作ったのは、
岡倉天心から始まる東京芸大の歴史であると言ってもいいのかもしれません。

さらに「美術工芸」の分野を「工芸美術」と語順を変えて導入していった学校の一つが
中国の清華大学美術学院だそうです。
中国における「工芸」という概念が日本から輸入される過程には、
東京芸大の先生や、芸大に留学生としてきた後に中国で先生になっていく方の関わりが深く、
「東京芸大的工芸」が中国の「工芸美術」という分野を形成していると考えられます。

明治の文明開化の折に、西洋近代美術を「文化」のお手本にした日本の「美術」から、
漏れ残った「工芸」というの概念が、ある価値を持って中国で受容されたのなら、
それはまことに結構なことだといえます。
ただし、中国の受け入れた「工芸美術」という概念は、
「美術工芸」という狭義の「工芸」であるかもしれないと感じました。
なんとなく僕が感じたこの展覧会の独特な雰囲気が、
中国の「工芸美術」全般のものなのか、この展覧会だけで分かるはずもありませんが、
率直な感想として覚書しておこうかと思います。

まぁ、全般の感想としては中国勢いとまんね〜!というのと、
芸大の影響力はんぱね〜!ということでした。
とにかく3泊4日の旅行中、ず〜と工芸や美術の話をしているという、
楽しすぎる旅になりました。

後編に続きます。

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木工のスパースター、夢の競演。

昨日、長野県小諸市にある谷進一郎さんの工房にて、
「丹野則雄さんのルーター講習会」がありましたので、行ってきました。

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ルーターとは加工機械で、手持ちで使うものから、大きなものまであり、
現在の木工加工ではなくてはならない機械の1つです。
僕は小さな加工が多いので、あまり活用できないと思っていたのですが、
小物加工の名人である丹野さんが
加工はほとんどルーターで行うと聞いて驚きました。
しかも今回は実際に加工の実演をしてくれると聞き、
喜々として、聞きにというか見に行きました。

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百聞は一見にしかずといいますが、ほんとためになりました。
丹野さんの作品は、木工関係の人から見ても魔法のような仕事に見えるのだけれど、
その魔法はあまりにシンプルな技術と行程の積み重ねでした。
簡単にいうと「やっぱそうやるしかないっすよね」ということなんだけれど、
それを何百何千と続けることに感服です。
小さい材料を安全に効率よくおさえる道具や、作業の仕方、常人には気付けない微妙なコツまで、
おしみなく教えていただきました。
木工関係の方はぜひ丹野さんの講習会がおちかくであれば、お勧めです!
木工加工の世界観が変わります。

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さて、4時間以上にわたる丹野さんの至れり尽くせりのフルコース講習で、
まぁ3日くらいは何も食べなくても大丈夫かなと思えるくらいに、
満腹中枢が刺激されまくっていたところ、
デザートというには強烈な、メインディッシュがアゲインです。
まってました!須田賢司さんの登場です。

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須田賢司さんといえば木工芸の人間国宝になったばかりで、超多忙のはず。
その須田さんが参加する「丹野則雄さんのルーター講習会」なのですから、
丹野さんの技術がどれほどのものかということも分かりますね。
谷進一郎さんのはからいで、せっかく須田さんが来るのだから、
丹野さん、須田さんの作品に共通する「箱」について話してもらえることとなったそうです。

須田さんの作品は現代工芸などと題される展覧会に行けば必ず目にする、
観る者、作る者にとって超のつく憧れの作品です。
その作品を間近で、それこそじーっくり、呼吸も忘れてじーっくり。
より感じ取ろうと、にじり寄って、
じっくり見過ぎて眼球が作品にあたる程、じっくり観れました。
ああ、これが穴が空くほど見るという比喩のはじまりと気がつきました。
作品が和紙に書かれた絵であれば、あんまりじっくり見過ぎて、眼球があたり、穴が空くのだと。

丹野さんと須田さんが生み出すのは同じ「箱」という道具ですが、
それぞれの手が、その考えにしたがって生みす作品は対照的です。
昨日谷工房で見た作品はたった2人と言ってしまえば、2人だけの作品だけれど、
木工芸における極点のきらめきが、その間にある幾億もの多様なきらめきを感じさせてくれます。
木工の世界はまだまだ多様な広がりを見せることができると、
希望と勇気をもらえる講習会でした。

講習会の後、参加者の皆さんと、トンカツ屋さんに夕食を食べに行き、
谷さん、丹野さん、須田さんと、木工スーパースターの競演に、
まぁ1週間くらいは何も食べなくても、木工をやれるくらいに満腹、満足となりました。

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