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7月, 2009 | nakagawa takeji

2009年07月 一覧

夏祭り。

先週末は各地で夏祭りが開かれていたようですが、
中野市でも「ションション祭り」が開かれました。
長野県では「松本ぼんぼん」「茅野どんばん」「千曲どんしゃん」「須坂カッタカタ」等々、
なかなかどうしてヘンテコなネーミングの祭りばかりで面白いです。
どんないわれがあるのか、はたまた単にノリでつけてしまったのか、気になるところ。
まぁ、祭りなのでノリでつけるのが正解ですかね。

 

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うそをつけない木工家。

先日、材木屋さんにパオローズという木を製材に行ってきた。
直径90センチの大木。
切り割ったばかりの木は匂い立つような魅力があり、
閉じ込められていた生気が解き放たれたかのよう。

 

この木は、近くに住む大工さんに譲って頂いた。
樹齢100年は下らない上に、大工さんが2、30年前に買って置いたものだとか。
建設中の家に使えと、くれたものなのだけれど
乾燥が間に合わないなど種々の問題があり断念。
かなり堅い木なので、寄せ木の作品には不向きだが、
とてもいい色と木目なので、いつか家具や小物の作品にしようかと考えている。
さて、工場長と話していて、ふと思ったことがある。
木の仕事に関わっている人間は正直な人が多いような気がすると。
自分でいうなという気もするが、
僕がというのではなく、周りにいる木工作家や木材屋さん、
木工機械の業者の人などのことだ。
おそらくそれは、木にはウソがつけないからではないだろうか。
木工家であれば、見てくれをきれいに作ることよりも、
表には出てこない「ほぞ」などの構造に関わる部分を
より丁寧につくることを良心と考えている。
納品する時には見えてこないところだが、
100年、200年と使い続けられる家具にするためには一番大事な場所だからだ。
見た目を大事にするのは、
目の前のお客さんの気を引くのには大事なことかもしれないが、
「ほぞ」を大事に作る木工家は、
(誤解を恐れずにいえば)お客さんに対して仕事をしているのではないのだ。
人の好みなどという、普遍がありそうで無さそうな微妙なものを頼りにするのではなく、
自分よりも100年も200年も先に、地球に生まれた木に対する敬意を持ち、
木に対して恥ずかしくない仕事をしているかを問い続けている。
一本の立木を見てみる、
幹から枝が分かれ、さらに梢に分かれて、その先には無数の葉が茂る。
葉の間には鳥や毛虫など無数の生物が生活している。
葉の先端から、空を見上れば、全ての生物がその恩恵にあずかることを思い出す。
深く息を吸って、また幹に目を落とすと、それが一本の幹であることに驚く。
完成された強靭で柔軟な構造と生命の秩序が、そこに見て取れる。
その「完全」を切り倒して、何を生むことができるだろうか?
自問は繰り返され、小さな自答が滲み出る。
それでもなお木の魅力に取り付かれた僕たちは、木を切り倒して仕事をする。
うそをつくことはできない。
うそのない仕事とは、けして完ぺきな仕事のことではない。
木は作品、製品になった後も「うごく」。
湿度によって膨張・収縮を繰り返す木材の性質上、
割れや反りの可能性をゼロにすることはできない。
だから僕たちは自分のできる限りの仕事によって生まれたその作品を、
買って下さった方に、「完全」でないこと(反る・割れる)を告げながらお渡ししている。
それは、うそがつけないというだけではなく、買って下さった方にも、
「完全」なる自然を切り取り、自然を超越することなどできないことを受け入れながら、
「不完全」なものをつくり続けてきた、人間のいとなみと、
自然から離れ過ぎたがゆえに、自ら「エコ」をうたってしまう行いの「不全」を
知って頂きたいという、木工家の下心だったりする。
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