『新技芸』展、後編。
3日目に予定されていたシンポジウムが2日目に変更されて、
開会式の後「上海工芸美術職業学院」にバスで移動しました。
急な変更は中国ではよくあることだそうです。
「上海工芸美術職業学院」は3年制の学校で、
日本の専門学校と大学の中間くらいの存在らしいです。
この学校の今回の展覧会に掛ける意気込みがすごく、
構内にポスターなどが張り巡らされていました。
学長や教授陣が参加し、工芸の「伝統と現代の関係」について話し合われました。
中国語、英語、韓国語、日本語が飛び交うわけですが、どうやって聞いていたかというと、
同時通訳というものを初体験しました。
学長たちの対談の後は、若い先生たちによる話し合いもありました。
芸大の三神先生も発言しておられましたが、
若い世代の置かれた状況や、自分の経験を織り交ぜながらも、
芸大の立場をはっきりとさせていて、立派なものだなぁと感心しました。
「上海工芸美術職業学院」の構内見学もしました。
漆の工房周辺です。
制作中の漆絵ですね。
陶芸工房周辺。
日本の学校教育では見かけない、石の工芸です。
校舎の中庭は造園を勉強するところのようです。
小さな木彫を作る工房。
日本では木工ということなのか、木彫ということなのかわかりません。
工芸図案を勉強する工房。
図案だけを特化して勉強するというのは、日本でも明治から大正にかけてありましたが、
今はないか、デザインとして勉強しているかでしょうか。
最先端?のNCルーターもありました。
かなり小さな刃で繊細に彫っていました。
大まかに機械で彫った後、手彫りで仕上げるようです。
荒どりが自動でできてしまうというのは楽でしょうね。
シンポジウムが2日目に変更されたため、3日目が突如フリーになり、丸一日観光をしました。
観光名所のようですが、何処なのかよく分かっていません。
食べ歩きができ、昼食がなんとなくすんでしまいました。
そういえば、今回スムーズに観光できたのには、
日本から参加のアメリカ人のマギーさんの存在が大きかったです。
彼女は中国の清華大学にも留学経験があるため、
中国語ができる上、英語はもちろん、日本語もできます。
さらに中国に知り合いも多いので、
この日は中国美術学院の李先生を呼んでくれて、観光地やギャラリーを案内してもらいました。
李先生が所属しているギャラリーです。
若い現代美術の作家の展覧会が開かれていました。
ギャラリーのオーナーにお茶をご馳走になりました。
小さい湯飲みにどんどん注ぐのが中国式の歓迎だそうです。
ここは上海の現大美術ギャラリーがたくさん集まっているところ。
どこまでも奥に続いていくように感じで、
ぜんぜん回りきれていないんじゃないかと思うくらい、ギャラリーばっかりです。
ギャラリーの中は普通は写真ダメなんで、見せられないのが残念ですが、
中国の現代美術すごかったです。
数年前に中国の現代美術作品にアジアで最高額が付いたとか、
作品の質や人気においてもうなぎ登っているのは小耳の挟んではいましたが、
なんとなく体制批判的ニュアンスや、近代的自我の中国的な困難を、
この辺まではセーフ的に描いた作品かなと思っていました。
まぁ好みの問題ですが、
アートなんで分かりやすく体制からの「自由」を表現するというのはいいんだと思います。
不思議だなぁと思うのは、
中国ではアート以外で体制を批判すると、すぐに「自由」がなくなってしまう印象で、
新聞記事で「人権派の弁護士が逮捕」とか見ると、
それは普通の弁護士ではと思ってしまうわけです。
そういえば、アイウェイウェイの作品を東京の森美術館で見たときには、
大変感銘を受けたことがありましたっけ。
アートとはいえ彼のようにセーフティのラインを徐々に下げてやろうという
「ほんもの」の作家は、いつの間にか「自由」を奪われたりします。
さて、何となく型にはめて中国のアートを見ていた僕でしたが、
まさに今の作家、旬はどうかというと、もう少し足元を見ているのかもしれません。
水墨画的な雰囲気の水彩で現代的なモチーフを描く作家や、
オーソドックスな版画作品のようで今の雰囲気をつかみ取る作家、
わかりやすい中国的なモチーフなしに中国を感じさせるローカル性も、
大変好みのものがありました。
おそらく次の世代はようやく体制批判的モチーフなどからも
「自由」になっていくのかもしれません。
刺激は弱くとも上質のアートが生まれてきて、
さらに今のようなアートマーケットが継続するようなことになれば、
中国のアートはいよいよ「本物」の正体を現すかもしれませんね。
1日目に空港から上海の街に向かう途中、建設中の高層マンションが立ち並ぶ様子が見えてきて、
「ここが上海の中心かぁ」なんて寝ぼけていたら、どこまでいってもその景色が続き、
団地のような高層マンションの群れが、延々と続いていくさまに、
大気汚染のモヤモヤも相まって蜃気楼かなぁなんて思いました。
でも、数日間を上海で過ごしその勢いを目の当たりにし、中国の人と触れ合うことで、
もしかして日本のメディアで聞く「中国経済崩壊間近」的な報道って、
日本の願望が強いんじゃないかなと思いました。
そういった危うさがあるのは事実だと思いますし、
マンションが人が住むためだけじゃない理由で、建設が止まらないというのもあるとは思います。
かといって、今回の展示を開こうと動いた中国の先生たちのように、
志を持って自国の文化を高めていこうという人たちは、
すごく現実を見ていて地道に活動されていると思いました。
まぁ、工芸なんで地道にしか、なかなかやりようないんですけど。
どうあれ強い経済力のままに、質の高い文化を持って行くとすると、
芸術分野は花開くでしょうね。
観光している途中に立ち寄った、インテリアショップの家具のデザインがとても優れていました。
日本のように西洋化とともに家具を学んでいったのと違い、
中国はもともと椅子、テーブル文化ですから、当然と言えば当然ですが、
中国らしい造形を持ちながら今の暮らしに会う、
シンプルさとしなやかさを持ったデザインが印象的でした。
中国のすごいところは、つまりこのことだなと。
世界で最も経済的に生産できる工場を持ち、
世界で最も多くの購買力を持った国民が暮らし、
世界の質の高い文化を追い越そうとしている。
これは強いよねと、日本は国土の限界、人口の限界がおのづと、
バブル崩壊から冬の時代に突入しましたが、中国は限界の桁が違うのかも。
環境のことなんかも国土の広さがあるせいで、
まぁどうにかなるか、になってしまうのかもしれません。
4日目の上海空港に送ってもらっている車の窓から、
来た時と同じ高層マンションの群れを見ると、
こんな非現実的な光景が、この国では実体を持ってしまうのかもなぁと、思っていました。
サブーリさんやマギーさん、三神先生と別れ、
長野行きの新幹線に乗ると流れてくるアナウンスが日本語でホッとしました。
新幹線の窓を眺めながら、一緒に行ったメンバーと最初の昼食を取っていた時、
国によって食事のルールや常識って、
いろいろあるよねという話になったことを思い出していました。
「ズズッと音を立てて、すするのは、食事の席でオナラするより恥ずかしい」とか、
宗教上の理由で食べられないものがあるけど?とか。
食事以外でも、僕たちが「よくやった」と親指を立てる、
いわゆる「グーッ!」のジェスチャーは、
イランでは中指を立てるいわゆる「ファックッ、ユー!」の意味なのだそうです。
アメリカ人とイラン人のいるテーブルで、同じサインが真逆の意味だと教わりました。
「常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである。」
というアインシュタインの言った言葉があります。
全てのことは、たまたま生まれついた国で、
たまたま誰かが考えて、たまたま常識になっていることなんでしょう。
ただそれが大事でもあるから、
僕たちは「常識」や「伝統」なんていうルールを持ってきて守ろうとします。
でもそれは「偏見」でしかないと思ってみると、急に「自由」になれる。
「伝統」の大事さを理解しながらも、そこから「自由」であろうとする。
グローバルな土俵で、
国も文化も歴史も、「偏見」の積み重ねを超えて、新しい表現が見たいなぁと思いました。
改めて「新技芸」という言葉が好きだ!と思います。
新しい表現はきっと,
僕らが展覧会を通して関わり合って行く中から生まれてくるのだと思うのです。
まぁ、なんと楽しい4日間だったでしょう、
知らないことを知る、疑問に思っていたことが分かる、新しい感性に触れる、
工芸やっててほんとよかったです。
では、これが今年最後のブログになりそうですので、みなさんよいお年を!