先日、制作活動のアドバイスをよくしてもらう友人と電話をしていて、
さすがにホームページのリニューアルをしないと・・・、との話しになりました。
たしかにその通りで、「大きな作品」はもう17号まで作り、
現在制作中の作品は18・19・20号になる予定だというのに、
ホームページではいまだ8号で止まってしまっている。
リニューアルしたいのはやまやまなのだけれど、工房のリニューアルに伴う設備投資で、
ホームページは後回しになってしまって、正直まだ余裕なしというところ。
とはいえ、きれいにまとまっていなくてもいいし、
撮ってだしの写真でいいから、なんとか全部の作品を見れるようにしないといけないね、
と話しは進みます。
何か方法は無いかと頭をひねったところ、ブログで作品を見れればいいじゃないかという、
灯台もと暗しな(というほどでもないか)意外にグットな結論に。
そうかそうか、既に記事にした作品写真をカテゴリ欄で分けるだけでも、
結構まとまるんじゃないかなと、さっそく分け分け仕分け。
う~ん、速攻で手詰まり。
作品写真を過去の記事から拾うのと同時に、
他の記事もいくつかのカテゴリに分けてみようとしたら、難しい。
分類が少ないと、外れる記事が多くなるし、
分類を多くすると、2つ以上のカテゴリをまたがってしまう記事が出てくる。
「作っているもの」「作っている途中」というカテゴリを作り、
完成品は「作っているもの」、製材や寄せ木などの作業風景は「作っていると途中」に分類。
個展の様子は「こてんこ てん展」にしよう、うんうん分かりやすいと分類作業をしていたら、
完成品の写真は個展の時の写真に含まれているじゃないかと・・・。
じゃあ「こてんこ てん展」のカテゴリはいらないかというと、
個展での出来事だけが書かれた記事もあったりする。
分類って難しい・・・てか分類できない!
哺乳類なの?鳥類なの?爬虫類なの?と聞かれればそれはカモノハシなのであります。
分類は不可能なのであります。(カモノハシは哺乳類)
赤色と青色の間は紫色だとあなたは言うでしょう。
赤と紫の間は赤紫色とあなたは言うのでしょう。
では、赤と赤紫の間はどうか、赤赤紫色と言えるというでしょうか。
ではその間の間の間の間までも分類できると・・・たしかに原理的にはできるかもしれません。
いいでしょう。
ではもっと身近に、人間を男と女2つに分類できるでしょうか。
もちろんできない。
様々な中間的な存在があり、同性愛者、性同一性障害、異性装(女装)など混同しやすいが、
それぞれ違った存在であり、
おそらく個別には同じ呼称で呼ばれていても微妙に違和感を感じていて、
分類しようと思うと間の間の間が無数に必要になります。
さらに言えば「普通に」男性女性と思っている人誰でも、
体内には男性ホルモン女性ホルモンの両方が存在していて、
両ホルモンの量で男性的・女性的な特徴が強かったり弱かったりしています。
多くの人は、ごく赤に近い赤紫だというだけで、誰もが完全な赤ではない間の存在ともいえます。
性同一性障害という言葉の「障害」という部分に違和感を感じます。
健常者と障害者も言葉としては2つに分類されてしまうけれど、
その間の間の間は無限にあり、線は決して引けない。
目に見えるものを言葉にするとスッキリする、理解できたような気がする。
ただそれは、目に見えるものだけを見るようになっただけのことです。
森羅万象を言葉にし理解していくことは、言うまでもなく大切なことです。
それは大前提で、言葉の間の間の間が無限に存在していることは意識していたいです。
芸術と科学の間、科学と宗教の間、宗教と芸術の間。
美術と工芸の間、作品と商品の間、トイとアートの間
プロと素人の間、仕事と遊びの間、楽しいと退屈の間・・・。
いろいろな間を考えていると、
希望と諦めの間が「悟り」ではないかと、ふと思う。
希望と諦めの間にあるのは境界線ではなく、あえて言葉にすれば境界点。
「悟り」が点であるなら、森羅万象を隔て分類する線は消え去る。
ああ、それが悟るってことかと腑に落ちる。
違うかもしれませんけど。
ここで一句。
腑に落ちて 悟ってみたら 落とし穴
気をつけたいです。
分類はする、でも分類はできない!
遅々として進まい記事の分類作業に、
「カモノハシなら分かってくれるのにね・・・、
いやむしろ僕はカモノハシになりたい・・・カモノハシになって哺乳類から脱退します!
そうじゃない、いっそのこと哺乳類を解散して、普通のカモノハシに戻ります!」
とかなんとかブツブツ言い訳しながら現実逃避に脱線を重ねています。