まず、連絡事項から・・・。
先日、案内状をお送りしました。
2回前までの個展にさかのぼって、ご記帳いただいた方に案内状を送りましたので、
もしお手元に届いていない方で、ご入用の方は大至急ご連絡くださいませ。
また、転居先不明等の理由で舞い戻ってきちゃった、
うっかりな案内状が20通ばかりいましたので、
お心当たりの方は、ご連絡いただけると嬉しいです。
さて、案内状も発送し、あとは小さな作品をできる限り制作の日々ですが、
わかってはいたけれど時間がない。
すみません・・・、深々・・・。
作品少ないです。
大きな作品は新作(16号17号)と、前回のメイン(12号13号14号15号)とありますので、
会場全体としては見応え(自分でいう?)あるんじゃないかと思うのですが、
小さな作品が少ないのです。
ほんとうはこの個展はゴールデンウィークに他の会場で計画していたこともあり、
展示作品が前回とかぶってしまう、準備期間が足らなくなるなど、
問題は最初からわかっていたので言い訳はできませんが・・・。
失礼ながら、さらに言い訳を重ねさせていただきますと、
この個展の後、夏にフィンランドはヘルシンキで行われます、
グループ展の作品を残さなければなりません。
さもないと、ムーミン谷の皆様がニョロニョロ達を従えて
大挙して訪れた時の対処のしようがない訳です。
深々・・・すみません。
とまぁ、そんなこんなのお詫びもかねまして、
個展初日におきましてはささやかながらレセプションパーティーを開催いたします。
どなた様もふるってご参加くださいませ。
あ、・・・わたくし、今、嘘を申し上げました。
まるで自分の過ちを自分で償うような言い方をしましたが、
実のところこのパティー、実業家のミスターミタテとル・ベイン伯爵のお心遣いで
開催していただくものです。
まだ他人に自分の尻拭いをしてもらっている31才、問題ありと見ました。
しかしなんですな、
田舎イズムと申しますか、信州ハーツの染み付いた僕としては、
パーティーなどというしゃれおつな文化には馴染みがないもので、
正直、ちとむず痒いですな。
いろいろな作家やアーティストの個展の案内状をもらいますと、
会期の初日などにオープニングパーティーの文字を目にします。
ああ、きっと彼らは貴族の出か、実業家や富豪の子弟なんだろうなぁ、
そういう家に生まれてみたかったものだなぁ、などと思っていました。
するとどうでしょう!
ギャラリーミタテから送られてきた案内状の束と一緒に、
『オープニングレセプション』と印刷された券の束が!
かつて、シンデレラという少女がいました、彼女は意地悪な継母に・・・、
みなまでいうな、みなまでいうな。
浦島太郎が浜辺を歩いていると、子ども達が亀をいじめているじゃありませんか・・・、
みなまでいうな、続きは図書館で。
さぁ!皆さん、カボチャの馬車はそこまできています、
こてんこてんてん、てれつくてん、てれつくてんてん、こてんこてん!
踊るアホゥに、見るアホゥ、同じアホなら、見なけりゃ、そんそん!
どうせ見るなら、初日がおすすめ、カボチャの馬車に乗りまして、
行ってみようか、こてんこてん展!
冗談が過ぎました、
オープニングレセプションは案内状をお持ちでなくても、
会場にいらしていただければ、参加できます。
お気軽にお越し下さいませ。
■オープニングレセプション
日時:2010年3月30日(火)18:30~20:30
会場:ル・ベイン(ギャラリーミタテ)
ほんとにかしこまらずお気軽に来てください。
カボチャの馬車は冗談ですので、ドレスなどで現れないようお願いします。
ドレスやマントが普段着という子弟の方はかまいませんが、
ジーパン、Tシャツが正装の僕のみ会場で浮いてしまうなんてこともありそうなので、
念のため。
写真多すぎでした!
さて、上でレセプションの話をしましたが、問題はこちら、
■イベント 中川岳二トークショー
日時:4月17日(土)14:00~
場所:ギャラリーミタテ
定員:20名(事前予約制・先着順)
聞き手:山田節子
これです。
何が問題か?、て・・・。
え!誰が聞きにいくの?という問題なのです。
僕がしゃべる分には、問題ありませんし、聞き手として山田さんがいらっしゃいますので、
しゃべる人がひとり、聞く人がひとり居れば、
会話は成立する訳で何の問題もないようにも思えます。
このイベントが『中川岳二トーク』であれば何の問題もない訳です。
それこそ普段のように工房でブツブツといっていればいい。
しかしこれに『ショー』とつくと、どうでしょう。
いやービックリ、問題発生です、大発生でございます。
『ショー』というものは観客がいて初めて成立するという、
とてもシンプルな答えをここから導きだすことができます。
ほんとうに誰も来ていただけなかったらどうしようと、
ふと作業の途中いやな汗をかいてしまいます。
まぁ、その時はその時、会場の外に出て空に向かってトークしようかと思います。
「おーい空よ!お前はなんで青いんだ~、広いんだ~!?」
「そして、なんで人は、ていうか僕は、ちっぽけなんだ~!」
これはこれで、成立しているんじゃないかななんて思うわけです。
ギャラリーなどに作品を並べていると、
人はいつの間にか自分を作家だアーティストなどといいだす。
しかしひとたび、空の下に作品を並べたならば、それは本当に作品たりえるのだろうか?
ギャラリーや美術館といった特殊な空間が、「それ」を作品にするだけではないのか?
白い空間に、石ころを並べただけでも、いわんや便器や車輪を置いただけでも、
「それ」は作品となり、並べた人を作家と呼ぶ・・・。
しまった、個展準備に追われているこんな時に、
穴を避けようとしてジャンプしたら、
足下全部穴だったことに気づいている場合じゃなかった、あぶない。
ほんとに誰もいなかったなら、
空に向かって講演しよう、
これがほんとの青空教室。
雨が降ったらいかがなものか、
雨空教室、心にしみる。
涙じゃない、涙じゃないって、
頬をつたった冷たさ感じ、
傘もささずに雨空教室。
(詩集:『青春教室』著中川岳二より)