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3月, 2009 | nakagawa takeji

2009年03月 一覧

教科書。


ニュースです!ニュースでやんす?!
なんと!、この春出版される武蔵野美術大学の木工の教科書に、
びっくり!、このブログを見て下さってる方ならおなじみの『アインとニーチェ』が、
こっそり!、載せてもらっています。
って、こっそりと思ったら、なにやってんだい表紙に出て来ちゃって、
前に出過ぎちゃだめじゃないか~、これじゃ刷り直しだよっ、まったくも~。
えっ!これでいく?まさか・・・ほんとに、これでいくんですか?
教科書には落書きが専門だった僕が、
それなりの専門として作品を教科書に載せてもらえるなんて!
あってよいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?
と、まぁそんなやりとりがあったとかなかったとか、冗談はさておき、
こんなことが現実だなんて、ほんと嬉しい出来事です。
まさか自分が木工を始めた場所の、これから木工を始める生徒達に読まれる教科書に、
卒業後つくり続けてきた作品が紹介されるなんて!
なによりも自分の恩師達に作家としてある程度認めてもらえたのかと思うと、
なんとも感慨深く、やってきてよかった、やってみるものだなと思いました。
真新しい教科書をめくると、この課題やったな~と、
武蔵美で木工を始めた頃のことが思い出され、
当初はジョージナカシマやウェグナーに憧れて、
家具作家になりたいなんて意気込んでいたのが懐かしく思い出されます。
いつの間にかこども用の家具をテーマにして、
さらに「おもちゃ」を自分の表現に選んでいくのだけれど、
今やっている「テイクジー・トイズ」という活動の手法や技術は、
この木工工房と工芸工業デザイン学科の課程で教わったことが基本にあることを、
改めて思いました。
それにしても僕が学んだ「工芸工業デザイン学科」というネーミングは、
よく考えてみると、面白い言葉の集合だなぁと思います。
明治に西洋の意味においての「美術」という概念が入ってくる前の
日本における「美術」そのものの総体は、
まさに「工芸」であり、「美術」「工業」「デザイン」はその一部、もしくは同義でした。
それらが分割されずに、ある意味では混沌とした、またある意味では豊かな、
造形表現が存在していたのだと思います。
民芸運動の指導者、柳宗悦は『私の念願』と題する本の中で、
「一般には美術と工芸とは二つの部門に分かれいるが、元来は一つであって、
近代にこれが別れたに過ぎない。その結果後の発生である美術は更に進んだものとして、
今日では美の標準を美術に置くことを習慣とし常識としてきた。
しかし私はむしろ逆に『工芸的なるもの』にその標準を求めるのが至当(しとう)であることを
明らかにしたいのである。もろもろの美に共通する普遍的原理を立てることは、
私の念願の大きな一つである。」
と書いたのは1942年のこと。
結果から見れば、美の標準を美術から工芸に取り戻そうという
この念願は現時点ではまだ叶っていないような気がしますが、
当時は「工芸的なるもの」つまり「工芸」が、「工業(製品)」や「デザイン」などに
今のように完全に別れてしまう前の幸せな時代だったということもできます。
なぜなら、その後には「工業」や「デザイン」に、
「工芸」に残っていた他の標準も明け渡さざるをえなくなるのですから。
鑑賞において「美術」に、安価では「工業」に、機能において「デザイン」に、
突き詰め、進めていくと、どこか劣ってしまう「工芸」ですが、
「美術」が純粋美術を目指す過程で捨ててきたモノ、
「工業(製品)」が生産性を求める上で排除してきたモノ、
「デザイン」が付加価値なる謎の価値に邁進するために忘れてきてしまったモノを、
拾い集め、伝統とか、生活とか、自然とか、ぬくもりとか、
言葉にするとむずがゆいような懐かしさとともに、懐深く包み込んで、
守り育て続けて来たのは「工芸」ではなかったかと思います。
先ほどの柳宗悦の念願に足りないものがあるとするなら、
「美の標準を美術に置く」ことの「むしろ逆に『工芸的なるもの』にその標準を求め」た、
結果として「民芸」という細分化を推し進めるのではなく、
むしろ逆に「美術」も「工業」も「デザイン」も「美術工芸」も「伝統工芸」も「農民美術」も
情熱を持って美しいものを作ろうとした痕跡すべてを「工芸」と捉える方が、
「工芸」がもっていた豊かな「美の標準」なるものに近づけるのではないかと思います。
そのような意味で、工芸工業デザインという学科がもっている幅の広さは、
そこで学ぶ学生の作品を豊かなものにするに違いないと思います。
実のところ、学生時代の僕は「工芸」という分野の曖昧さ、わけの分からなさに、
反発心のようなものをもっていました。
「伝統」という重苦しさ、「用の美」とかいう中途半端な概念、
「民芸」という行き止まり感、「ぬくもり」などの気恥ずかしさ。
ただでさえパイの小さな美術の世界に、ぽっかり浮んだ「工芸」という小島のなかで、
さらに「美術工芸」だ「クラフト」だ「民芸」だ「伝統工芸」だと部族間闘争。
そんな小競り合いをしているうちに「工芸」なんて一般的には
忘れられちゃうじゃないだろうかと、焦りのようなものを感じていました。
「工芸」という分野は学校の中にしか存在していないように思えたのです。
でもそんなうがった見方は自分の無知から来るものだと、
作家活動をする中で、沢山の人やモノ、コトと出会うことで、
反省し、今は随分と理解できるようになったと思えます。
ただ、それは若者が(あの日の僕が)無知ではいけなかったということではなく、
師や学校という環境自体が「美術」や「工芸」という体系を形づくり、
反発するにしろ、素直に学ぶにしろ、その中でもがくことで、
無知のままに自身も作品も体系の一部になりうる、
もしくは若いが故、無知が故に先端にあることができてしまう可能性をもっている、
と言えるのかもしれないと思います。
おそらくそれが教育の意味であり、美術大学の有効性じゃないでしょうか。
まぁ、とにもかくにも僕のようなはみ出した表現を、
教科書の表紙に加えて下さった十時啓悦先生、田代真先生、北川八十治先生の
心の広さが、僕が学んだ「工芸」というものの豊かさなのだと思います。
先生、ほんとうにありがとうございました!
このことをなによりの応援と思い、よりいっそうがんばります。
ちなみに、一般の書店でも購入できるそうです。
内容は木の椅子の制作を中心に、木でつくられるモノなどの紹介、
アイデアスケッチからモデルの作成、図面の描き方、
木工道具、電動工具、塗装といった基礎知識まで、
カラー写真を多用してあり、初心者にも分かりやすい内容です。
マニアックな方は、美術大学の木工教育を覗いて見るのにも面白いかと思います。
■木工[樹をデザインする]
監修 十時啓悦
著者 十時啓悦・田代真・北川八十治・大串哲郎
出版 武蔵野美術大学出版局

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松本城。


今日は松本へ行ったついでに、松本城によって来ました。
近くから見るのはずいぶん久しぶりで、
改めて、その美しさ、カッコよさに見せられちゃいました。
中に入ると、相変わらずの登りにくい階段に驚きです。
かなり急な上、段の間隔も広い、おまけに天井に頭がぶつかります。
団塊ツアーなんのその、高齢化社会、バリアフリーもなんのその、
気を付けて、慎重に登れば意外と大丈夫だったりするものかも。
大阪城をはじめ再建されているお城には、
エレベーターにエアコン完備てのも珍しくない時代ですが、
松本城はそんな清さ?が、外観にも出ているのかもしれません。
それにしても、絵になるね。

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お彼岸。


春分の日は彼岸の中日とのコトで、
うちでは朝から「おはぎ」をこさえて、
お墓参りに行ってきました。
今年は雪が少なく、暖かくなるのが早かったせいか、
お墓の周りにはもう草がけっこう生えていました。
お昼ご飯は、たくさん作った「おはぎ」のみ。
あんこ、きなこ、ごま、と3種類もあるのに、当然のようにぜんぶ甘い系。
女性はいいかもしれませんが、男の僕には少々きつい。
なん杯もお茶を飲んだり、コーヒー飲んだりしたけれど、
どうもバランスがとれないので、
ついつい亀田製菓のカレーせんべいを開けてしまいました。
春分の日は、昼と夜の長さが同じ日ですから、
あたり前のことですが、バランスを考えれば
甘いものとしょっぱいものを同じだけ食べねばなりません。
亀田のカレーせん、ほんとマイウ~!
ついつい手が伸びてしまって、カロリーバランスは最悪に。

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