木の管理


これテイクジートイズの木のストックの一部です。
この中から作品に合わせて、無駄なく木取りできるものを探します。
ホワイトアッシュは購入したばかりなので、
少し寝かせておきます、とてもいい色の材なので使うのが楽しみです。
木は立木から切られて6年くらい乾燥させて、やっと使える材料になります。
樹種によってはもっと乾燥に時間のかかるものもありますが、
今は人工乾燥をするものが多いです。
それでも、1、2年は寝かせて置いたほうがいいと考えているので、
ちゃんと隙間をとって保管しておきます。
この木で何を作ることになるのか、数年後が楽しみです。

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ふれあいまつり


今日は長野市の若里公園で開かれていた、『ふれあいまつり』に行って来ました。
障害者施設を中心にバザーあり、焼きそばありの色々祭りです。
大勢の人が集まっていて、車椅子の人、ダウン症の人、ボーイスカウトの子供達、
シルバー合唱団などなど、まさにふれあいって感じでした。
車椅子社交ダンスというものがあるのを今日初めて知ったのですが、
皆さん奇麗な衣装を着て楽しそうに踊っていましたよ。
子供達はみんな風船をもらって嬉しそう、
木の椅子をつくるワークショップではお父さんも一緒になって真剣です。
午前中はお天気がよかったのですが、午後は雨になってしまってちょっと残念、
それでもとってもいい雰囲気のイベントでした。

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Pananaさんへ


(今日のオニフスさん、少し大きくなりヒビみたいなのがでてきました。)
さて本題です、今日は昨日『子供とおもちゃと障害と』
Pananaさんがくれた質問の答えをここで書きたいと思います。
(考えさせられるいい質問だったのと、長くなりそうなので)
質問は僕が紹介したマッチングおもちゃの「キーナーメモリー」に対するものです。

(「キーナーメモリー」キーナー社 輸入元/アトリエ ニキティキ、写真はHPより)
 
>類似品にセレクタ社のものとか、色々ありますけど、やっぱり、
 キーナ社のものが図案的にもいいんでしょうか?
 好みでしょうか?
原型がキーナ社のものかは分かりませんが、確かに類似品の多い商品です。
より安価な類似品が並ぶ市場の中で、
キーナー社のシンボルとして20年以上同じ絵柄で作り続けられている事実からも、
わかりやすい絵柄や色使い、絵の種類などが
子供にも大人にも支持されて来たことが分かります。
好みか?と言われるとそうなのですが、
言語を習得し概念を形成する(例えば、ネコと言う言葉を見たり聞いたりした時にある特定の
「ねこ」(実物やイメージ)を思いうかべることが出来ること)大切な時期に見る
抽象化されたイラストなどは、できるだけ美しいものであって欲しいと思います。
どうしてもスイスぽっさ?はあるので、僕としては絵本作家の五味太郎さんが、
もう少し日本の暮らしに即したものを描いてくれたらいいのになぁと思ってます。
>おもちゃ図書館では購入していないのですが、おもちゃを選ぶ時、毎回、こういうの  
 どうかな~とは思っています。
 ただ、保健センターに類似品があるのですが、それを使って遊んでいる子を見たこが 
 ないのが、躊躇している理由です。
 
 子供はそれでずっと遊んでいるのでしょうか?
 やはり、療育的に横に座ってこえかけしながらでないと遊ばないのでしょうか?
 
 それしかないと、きっと遊べると思いますが、たくさんあるおもちゃの中では 
 どうかな、と思います。
この質問はテイクジートイズにとっても本質的で、難しい指摘です。
おもちゃ図書館がどんな場所であるか正確にわかりませんが、沢山のおもちゃがあれば、
大人の僕でもとりあえずあれもこれも遊ぼうと思って、好奇心はあっても
分からないもおもちゃの遊び方を考えている暇はないんじゃないかなと思います。
今のように安易なエンターテイメントが日常化している中では、キーナーメモリーや
テイクジー・ブロック、ズーなどの相対的に些細な遊びは選ばれない可能性は高いと思います。
(もちろん些細な豊かさだと信じてはいますが)
あくまで相対的なものだと思いますので、
もしおもちゃ図書館や保健センターにテレビが置かれ人気アニメが流れ出したら、
ほとんどのおもちゃが活躍することはないと思います。
分かりやすくてより刺激のある物に目が行くのは、大人も子供もいっしょですから。
余談ですが僕はテレビのない家で育ちました。
その上買ってもらったおもちゃは、謎のH型をしたブロック玩具だけでしたから、
あり余る時間を(今思えば)兄と一緒にそのブロックで何年もよく遊びました。
憶えているのは兄のつくるロボットが上手で、どうにか真似しようとしていたことです。
どうやってもつくることが出来なかったのですが、
それもそのはず兄は自分でブロックのパーツを改造して使っていたんです。
その手があったかと僕も削ったり、くっ付けたりと新パーツをつくりました。
(やっぱりその延長が今ですかねぇ?・・・今じゃ全てのパーツをつくってます、
28ですがロボつくってます・・・。)
兄はこのブロックの許容できる遊びの範囲を超えてしまったわけです。
開発者の想定する遊び方では面白くなくなってしまったんですね。
大げさに言えば大人の想像の範囲を子供が越えてしまったと言えます。
もしこのブロックがもっと沢山のパーツで構成された完成された物であれば
用意されたパーツの中で満足できていたかも知れません。
もしくはレゴブロックの複雑なセットなどを新しく買ってもらっていたら
興味は移っていたと思います。
1つのブロックを遊び尽くして、それでも新しい可能性を追わなければならない
過酷な?状況だからできた面白い体験です。
革新的なアイデアというのは枠(常識)をはみ出したり、壊したところにある、
そんな体験ができたブロックなので、ある意味完成されていたのかもしれませんが。
その後ぼくは親友の家でレゴブロックに出会いとりこになりました。
結局、家では買ってもらえませんでしたけど、今でもレゴより
面白くて、美しくて、完成されたおもちゃはないんじゃないかと思います。
(しかし最近のレゴのスターヲーズセットやハリープッターセットはどうかと思います、
棒状のパーツと人パーツがあればライトセーバーにも空飛ぶほうきにもなるのが、
レゴの本質だと思うのですが)
話が逸れたうえに長くなりましたが、
睡魔さんが訪問されていますので強引に結論です。
Pananaさんの質問にある「それしかないと、きっと遊べると思いますが」
が僕の答えです。
どんなにつまらない(んじゃないかなぁ)おもちゃでも、
遊び方が分かりずらいおもちゃでも、
それしかなければ絶対遊びますし(年齢や能力に応じたこえかけなどは必要)、
時間が経てば新しい遊び方まで教えてくれるようになると思います。
飽きたら次がある僕たちが慣れすぎた感覚です。
沢山のおもちゃの中で意図された遊びだけをするのと、
1つのおもちゃにとことん向き合い、遊び方やルール自体を作ってしまうのと、
どちらが豊かなことでしょうか。
これもモノを大切に使うということですかね、テイクジー・トイズのちょうせんです。

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