2008年 一覧

工芸はモヤモヤ。

明治政府による制度的な工芸と美術の区別は、
簡単にいうと外人さんに説明するために、もしくは話を合わせるために行なわれました。
当時、襖絵や掛け軸や屏風、書、茶道具、簪、根付けにその他もろもろ、
今では工芸や彫刻、絵画、デザインなどと分類されるそれらを、
どう分類し説明すればいいのか誰にも分からなかったのです。
ましてそれらを総称する言葉は存在しなかったし、その必要もなかったのでしょう。
「近代以前には、ひとことで造形芸術(美術や工芸)を意味する言葉がなかった。」
訳ですが、必要に迫られる時がきました。
それは1873年に日本政府が初めて公式参加するウィーン万国博に出品するにあたり、
1872年(明治5年)に同博の出品分類(ドイツ語)の翻訳として「美術」という言葉が生まれ、
「西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、諸学等ヲ美術ト云フ」と定義されました。
漢字が苦手なぼくにはよく分かりませんが、像を作る術?おまけに諸学ですから、
とにかく何でもありってことで、もちろん工芸もこれに含まれています。
黒船襲来で江戸から明治で文明開化、一気に洋式化される中で
日本美術も西洋美術の枠組みに合わせて再編成されます。
「西洋の鋳型に日本をはめ込むといえば、油絵や洋館の移植が想起されるかもしれないが、
実際にはそうしたもともと日本にその伝統がない分野の移植は、
西洋を日本の風土に馴染ませる努力をしたにすぎない。
むしろ厄介だったのは、日本画、工芸品、社寺建築など伝統分野の方で、
それらを西洋化するためには、西洋化されてもそれらのアイデンティティが失われないために、
それらの芸術的高尚さを対外的に認知させる努力が不可欠だった。
具体的には、一方では日本美術の固有性が揚げられる必要があったし、
もう一方では、江戸時代までに培われてきた『造形芸術』が、
西洋流の〈美術〉、〈工芸〉、〈工業〉といった概念によって
腑分けされなければならなかったのである。」
油絵を洋画といって、その遠近法などを真似ることよりも、
襖や屏風に描かれていた絵を日本画と称して額に納めるのには、
大変な努力や苦労があったでしょうし、
数多ある造形物の何を工芸とするのか、
陶器一つとって見てもその中で、これは工芸品、これは工業品と分けることは、
不可能に近い困難だった違いありません。(未だよく分かりませんが)
しかも西洋の方式に合わせながらも、戦争の世紀へと富国強兵の只中、
外国の方々に日本てすげーんだぞと威勢を張り、
日本のアイデンティティを主張しなくちゃいけない時代でもありました。
そんなこんなするうちに、
「『工芸』は1890年頃に定着した言葉です。」ということになった訳です。
長い年月を掛けて培われてきた「いろいろ」を文明の力でもって突貫工事、
夏季は高温多湿の日本の風土にレンガでできた洋館を建てちゃ、カビも生えるってもんです。
結果、美術も工芸も「モヤモヤ」しちゃって、カビが生えないように美術館で保存し、
芸術の秋なんてなキャンペーンでもってご覧頂くほかないという、
なんともマニアックな業界になりました。
工芸(美術も)自体がモヤモヤと曖昧なまま存在し、
その中で表現者もモヤモヤと曖昧なまま作品を発表しているといった事態です。
美術や工芸になにやら難しいものという印象をお持ちの方がいるとすれば、
それは「難しい」のではなく「モヤモヤ」としたものというほかないのです。
樋田豊次郎著『工芸の領分』には工芸家として読むと、
まだまだ興味深い話が沢山書かれています。
工芸をしてる人はもちろん、したい人、好きな人にはおすすめの名著です。
ぼく自身ことあるごとに読み返し、付せんベタベタで、これほど線を引いた本は他にないです。
ただ、2900円(税別)と少々高めなので、
ぼくが気になった所をもうちょいピックアップしたいと思います。

コメントをどうぞ

工芸って何?

前回のブログにつづき、美術と工芸を分つものは何かです。
そのモヤモヤ感の正体があるならば、探してみようということなんですが、
そもそも工芸とは・・・。
みなさんは「工芸って何ですか?」と聞かれたら何と答えるでしょう。
「抹茶茶碗とかの陶器じゃない」「なんか伝統的な手づくりのヤツ」
「漆塗りの御重とか、古い感じの」などでしょうか。
正直よく分かりませんよね。
工芸をしていると自覚している人でも、明確に答えることは難しい。
辞書的には[製造に関わる技芸。美的価値をそなえた実用品をつくること。
陶芸・木工・染色など。「伝統工芸」]とあります。
「実用品」というあたりが美術とは違うようですが、
前回のブログの『工芸の力―21世紀の展望』展に並んだ作品など
実用のない工芸品はもちろんありますし、
実用的な美術作品というのも存在するでしょう。
あえて今日的な意味を雰囲気で定義しようとすれば、
伝統工芸から日曜クラフトまで、主に自然素材を主に手で制作したものとなるでしょうか。
まぁ、主に手でつくっていれば工芸といえちゃいます、なんでもありです。
言葉というのは厄介なもので、生まれてしまうといろんな意味や勘違いまでを吸い上げて、
どんどん成長して、いつのまにやら「私はいったい何者なのだ?」とか言い出して、
自分探しの旅に出てしまいます。
そんな時は、「お前はお前だろ、現実を見ろよ」などといっても聞く耳は持ちませんので、
その言葉がいつどのようにして生まれたのか知ることで、
無駄な旅から連れ戻すことができるはずです。
工芸とは何か、工芸と美術の関係(区分)について、
樋田豊次郎著『工芸の領分』という本を教科書に考えてみようと思います。
まずはいきなりですが、
「工芸と美術の区別は、近代になって制度的につくられたものである。
両者がすでに江戸時代から区別されていて、それを明治政府が追認したのではなく、
反対に、両者の区別が明治政府による行政的産物だったことは、
近年の近代美術研究が明らかにしたところである。
 だいたい明治政府にしても、明治二十年頃までは美術と工芸を一体視して、
その総体を『美術』と呼んできたのだ。
元々日本文化には両者を分け隔てる考えはなかったし、いやそれどころか、
美術や工芸という概念自体がなかったのだから、
時代が近代になったからといって両者を区分することなどできるはずがなかった。」
とのことで、
明治政府による制度的な工芸と美術の区別は、
当初は「見かけ」の区別に過ぎなかったというのです。
え、そうなの?ですが、なんでそんな区別をしなければならなかったのでしょう。
つづきは次回。

コメントをどうぞ

工芸の力―21世紀の展望


先日、東京国立近代美術館 工芸館に『工芸の力―21世紀の展望』を見に行きました。
この展覧会は工芸館の開館30周年を記念して『工芸館30年のあゆみ』と題した、
記念展?に続き記念展?として開催されました。
簡単にいえば、近代の工芸を振り返り、これからの工芸の未来について考えようというもの。
工芸をする者の端くれとして、絶対押さえておきたい展覧会です。
もちろん?、?両方に行ってきました。
?においては、浜田庄司、高村豊周、松田権六、佐々木象堂、四谷シモンなどなど。
書き出したらきりがない巨匠達の作品がズラリ並び、
工芸館の成り立ちとともに、日本の近代工芸の足跡を一気に見渡すことができました。
ほとんどの作家が1作品だけなので、少し薄味なのは否めませんが、
図録だけでしか見たことのなかった作家の作品を多数見ることができ、貴重な体験でした。
?では、橋本真之、福本潮子、前田昭博、高見澤英子、須田悦弘、北川宏人などなど、
既に巨匠から、これからの工芸界を背負って立つであろう若手まで、
作家1人1人にある程度のスペースがさかれ、個性の強い濃密な表現がひしめき合う、
見ごたえタップリの展示内容でした。
中でも橋本真之さんの鍛金による巨大な作品は圧巻。
そして、どうしても気になってしまうのは須田悦弘さん、北川宏人さんの作品。
これを工芸と分類する根拠は何か、いやそもそも工芸とは何か・・・。
作品の質の高さ言うまでもないですが、作品から滲み出るものは「表現」のなんたるか。
学校でいわゆる工芸を勉強したぼくが分からないのだから、
一般のお客さんには工芸の企画展ということに置いて、幾分難解なラインナップだと思います。
分からないのは見る側だけではないようで、
作品の紹介とともに展示されていた作家からのコメントを見ると、
普段は現代美術として作品を発表している須田悦弘さんはこう言っています。
「今回、工芸館から声をかけられた時、少しだけ戸惑いがありました。
 でも少しだけです。なぜなら自分にとっては工芸とか美術とかの区分は
 よく解らないからです。もう少し言えばその区分はどうでもいい、
 下らないものに思えるからです。しかし今現在、美術と工芸にははっきりとした区別、
 というよりはモヤモヤとした溝の様なモノがある気がします。
 その何ともスッキリしない空気が、この展覧会で多少どうにかなればいいなぁと思います。」
なんとも正直な文章で、まったくその通りだと思います。
こんな風にモヤモヤした空気に対して、
ハッキリと言ってしまう空気の読めなさ(読まなさ)かげんが、
須田悦弘さんを「現代美術」と言う場で美術家たらしめるのだと思います。
とは言え、美術と工芸、または美術家と工芸家とを分つものは確かにあり、
そして確かさはない。
この話題もう少し掘り下げたいので、次回に持ち越しです。

コメントをどうぞ