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春養祭り

ちょうど1週間前の帰省中最後に見に行ったのが「春養祭り」です。
春養祭りとは母親が勤めている春日部養護学校のいわゆる文化祭です。

生徒達の作品や学習成果の発表を中心に、
作業教育(陶芸・木工・裁縫・コンクリート?・農業など)で出来た製品を販売したり、
ヤキソバ、豚汁、フランクフルト、おにぎりなど飲食販売も充実で
とても楽しいお祭りでした。
メインイベントの演劇は、かなり見ごたえがありました。
ダンスや歌、楽器演奏などを交えながら物語が展開して、生徒達は生き生きと演じていました。
それにしても今の子供達ってダンスが上手ですね~、
ヒップホップっていうんですかねぇカッコよかったです。


やっぱり陶器の販売は人気が高いですね、手びねりの物もありますが、
タタラ(粘土を板状にしてつくる)や型ものなどは完成度も高く、
数百円というお祭り価格なのでぼくも買っちゃいました、けっこう使い勝手もよいです。
有機野菜も立派なもので、白菜を買ってお鍋にしたら美味しかったです。
生徒作品で気になったのがこのロボ、全体のバランスといい配色といい、
ライバル心がメラメラ・・・。
沢山の作品のなかに「これは!」というものがいくつもありました。
以前、信濃美術館でエイブルアート(障害者芸術)の展覧会をみた時、
迫力ある作品や緻密な表現に強い衝撃をうけたのを思い出しました。

陶芸室です、ぼくは小さい頃ここで初めて陶芸をしました。
ゴジラの貯金箱や魚の形をしたパレット(鱗が絵の具を入れる溝になってた)を作って、
ここの先生達に褒められたのがすごく嬉しかったなぁ。
何かの形をした◯◯とか、何かとしても使える◯◯って今も大して変わらないことしてますね。

幸手学園(知的障害者授産施設)の出店していたパン屋さん。
お昼ご飯にいただきましたが、美味しかったです。
養護学校等の特別支援教育は高等部(高等学校)までですから、
卒業後一般の企業に就職が難しい生徒達が働く場所として幸手学園などの施設があります。
卒業生の通う施設がいくつか出店して祭りを盛り上げてくれているんですね。
1979年の養護学校義務化により本格的にはじまった養護学校における教育は、
まだ27年間と実践も研究も「あさい」ものです。
それでも教師や保護者、生徒達による積み重ねにより、目に見える成果を生んでいると感じました。
校舎に溢れたその成果や成長を見ようと、
たくさんの父兄や地域の学生などが訪れ、賑わっていました。
どうしても多くの「時間」と「たすけ」を必要とする生徒達ですが、
そのぶん家族や地域と教師達が協力した教育体制が時間をかけて育まれています。
ぼくは障害者と健常者の「さかい」というのは曖昧あるいは無いと考えています。
障害とは誰のものでもあり、健常者とはまだその状態にないだけだと考えられると思うからです。
不登校やニートの問題なども、障害のひとつで「こころの障害」だと思うのです。
支援が必要なのは障害児ばかりではありません。
なにやら最近は風あたりの強い学校教育ですが、
自分の子は「できる」との思いが強いと学校に対する不満ばかりが見えてくるかもしれません。
自分の子は「できないかも」と考えてみると、
自分が積極的に動いて、協力し合わなければと思えるのだろうなと感じました。
文化祭などの時に実際に学校に行ってみれば、きっと教室の壁にはられた作品や子供の姿を見て、
不満よりも子供の成長や変化に気がつくんじゃないのかなと思いました。

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小林武ミニライブ

中野に帰ってまいりました。
すいた高速を帰ってくるのが好きで、いつもは夜中に帰ってくるのですが、
今日は小林武さんのライブに行きたくて早めに実家を出ました。
中野のひとつ手前の小布施で高速を下り会場のギャラリー蔵へ。
あっ、小林武とは言っても当然ですがあの小林武史ではありません。
長野市を中心に活動するミュージシャンであり、webデザイナーであり、
イラストレーターであり、「工芸と和み」のインタビュアーでもある多才な人です。

(開演前に少し練習、緊張感が伝わってきます。)
今日初めて彼の歌を聞いたのだけれど、小林武はやはりミュージシャンなのだと確信しました。
小林さんはギターと歌が大好きなのだろうと思いました。
好きでしょうがないことをいっぱい練習して、
好きだって気持ちで表現すると「伝わる」のだと思うのです。
あの会場にいた人達には、小林さんの思いが伝わったに違いないと思います。
ぼくは彼の歌には悲しみが滲んでいるように思いました。
それは弱者に対する「おもい」であり、弱い自分に対する「おもい」なのかもしれません。
弱い者へ同じ目の高さから、優しい声で話しかける様に歌う姿が印象的でした。
音楽ソフトがいつでも手軽にダウンロードできるようになり、
確実に無価値化していっているのを感じます。
単なるデータになっていく音楽にほんとに大丈夫?って思ってしまって、
感覚がどうしても追いつきません。
無価値化というのは表現が適切じゃないかもしれませんが、
遅かれ早かれ無料化には近くなると思います。
でもそうなると逆に好転することもあるかもしれません。
音楽が巨大資本のパッケージから自由になって、
好み(消費)はもっと多様化し、ライブを聞きに行くという
音楽本来の、あたり前のかたちに戻っていくんじゃないかと思います。
その時はキャッチーでなくとも、ヒットチャートとは無縁でも、
その場にいる人達に伝えることができて、
「よい音楽」をつくることが出来るかという
ミュージシャンの本質的な力だけが問われるようになるんじゃないでしょうか。
儲からないけれど、ミュージシャンにとっては
とても幸せな状況が訪れるんじゃないだろうかと
帰りの車の中で思ってみました。
工芸作家としての願望かもしれないけれど。

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