2009年 一覧

悩むことも。

ブログをはじめて、悩むこと、深く考えることが減っていたように思います。
もちろんそれはとてもよいことだと思うのだけれど・・・。
どんな作家でも制作の日々はだいたい孤独なものだと思います。
だからかどうかは分かりませんが、独り言のかわりに、
ブログでたわいのないことや、思いついたことを書いたりする。
その記事に対してのコメントがあれば、笑ったり、考えさせられたり、励まされたり。
個展以外の場で、自分の作品を知ってもらい、意見をもらえ、
作品づくりの向こう側にたえず誰かがいてくれる心強さが、
制作の場まで変えてくれるように思います。
僕の場合、多くの人に自分の作品を知ってもらえるチャンスを
与えてくれたのもこのブログなわけです。
でも何故だろう?多くの人に知ってもらえば知ってもらうほど、
日記や覚え書き程度のはずの存在が、大きな存在になってしまうように思え、
制作活動の中で重要さが増していくほどに、
いわゆる「つまらぬ悩み」など書く必然性が失われていくように思えて。
ネット上に溢れる、掃いて捨てるほどの悩みを、
また1つ増やすことに生産性は感じられないかなとか。
まさにこんなことをつぶやく感じが、いかがなものなのかと。
悩まずにすむように思えたブログが、悩みを書くコトを悩むなんて、不思議です。
でも何故だろう?時には吐き出さずに、深く悩んでみるってのも重要なのかもしれません。
ただの考え過ぎでも何でもかまわないんです。
自分が表現しているもの自体を疑ってみたり、その疑問がどこから来るものなのか
見極めてみないと進めないように思うこともあります。
「迷わず行けよ!行けば分かるさ!」って時ばかりではありません「人間だもの」なんちって。
KEKRMDさんコメントありがとうございます。
たまに悩んだりしながら、更新続けてまいります。

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高村豊周。

うちの娘経由で、家族揃ってお腹を壊したり、
住んでる地区の協議委員になってしまい、会に参加したり、
あれよあれよと、ブログがおろそかに・・・。
今年も始まったかと思えば、もう2月だし、年を取ると時間が早く感じると言うけど、
30歳になって、つくづく納得の今日この頃です。
さて、前回の続きで「高村豊周」について少し書こうかと思います。
(とはいえこれは、樋田豊次郎著『工芸の領分』を読んだ受け売りを、
なんとなくこんな感じかなで書こうと思うので、
工芸をやってる人などは、本を読んだ方がいいです。)
高村豊周は 高村光雲の三男、高村光太郎の弟として1890年に生まれ、
東京美術学校(現:東京芸大)鋳造科で鋳金を学びます。
1926年に同年代の若者(松田権六・佐々木象堂など)と共に『无型(むけい)』という工芸団体結成。
高村は无型の中心人物として、当時の工芸界で自分の近代的工芸を主張し、
昭和初期に置ける工芸近代化に重要な役割を果たしました。
なんだかカタくなりましたが、この无型の結成時に高村が書いたといわれる宣言が、
ちょっと面白いです。
「无型の誕生」
无型は無型、型ナシだ。型をもたぬ。すべて自由に、各人各様の姿態を持つ。
それならば何でもよいかといふに、必ずしもそうではない。
各人各様の姿態を通じて目に見えぬ線の連鎖があるのでなければならぬ。
燃え上がる情熱と生一本のムキな意気込みと牛のような根気と、
そして美しい未来へのあこがれと、ーーーこれだけは是非ともなくてはかなわぬ。
懐古趣味、退嬰、萎縮、安息、死滅、空虚、沈黙、現状維持、事勿れ、
ーーーこれは无型の最も排斥するところだ。
新鮮、ブィブィッド、溌溂、前進、躍動、充実、現状破壊、未来、歓声、
ーーーすべて光ある彼方へ向かって无型は旗を振りかざす。
今は即ち今だ。飛び去る瞬間だ。この瞬間を愛せよ。この瞬間に息づく工芸美術を作れ、守れ。
大宮人が桜をかざして歩いた時代を憧憬する者よ、まづ死ね。
・・・、え・・・「死ね」って?
(近頃の若いもんは簡単に「死ね」とか言ってけしからん!なんてのは、
いつの時代もいわれているのかもしれません。)
締めの言葉がちょっとインパクトなうえ、全体的に情熱がほとばしり過ぎですが、
目を細めて読んでみれば、
80年前の工芸を志す若者の素直な気持ちが伝わる文章じゃないでしょうか。
「型をもたぬ。すべて自由に、各人各様の姿態を持つ。」とか、
「懐古趣味」「退嬰(保守的な)」「現状維持」が嫌いとか、
「前進」「躍動」「現状破壊」「未来」が好きとか、
「この瞬間に息づく工芸美術を作れ」なんて、
今の新しい表現をしようとする若者と大差ない思いじゃないかなと。
では、高村達がこんな過激に批判し、
それこそ死んで欲しいとまで思った当時の工芸とは、
いったいどんなものだったのでしょう?
なんだか長くなりそうなのと、ぼくが眠そうなので、続きはまた。

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善光寺。

今年初めての善光寺参りに行ってまいりまいした。

これ初詣ってわけじゃありませんけど、
今年の干支は何ですか?お客さん、
そう、丑年でしょ、
そしたら牛に引かれて善光寺にもうでなきゃ、
そりゃもう、恋はもうもくってもんです。
?。
さて、善光寺はこのブログでも何回か紹介したけれども、
今回は入り口の門にある仁王像をご紹介。
写真ではなかなか伝わりにくいかもしれませんが、
善光寺の仁王像は力強さと躍動感があり、
プロポーションや筋肉の盛り上がりなどが美しく、
はっきりと「うまい!」作品だと思います。
それもそのはず、この仁王像は高村光雲の作品なんです。
高村光雲は彫刻を好きな人なら知らない人はいませんが、
なんか聞いたことがあるのだけどという人は、
高村光太郎の父と聞くとピンと来るかもしれません。
工芸好きであれば高村豊周の父といった方がいいかもしれません。
高村光雲(父)、高村光太郎(兄)、高村豊周(弟)、あまりにも天才な家系です。
それぞれが、その進んだ道で一級の評価を得て、作品や考えが後世に影響を与えています。
高村光雲、高村光太郎はすっごく有名(教科書に載るくらい)なので、
ここではちょっとだけ高村豊周のお話を。
ぼくは高村豊周の作品は正直「好き」ではないのだけれど、
彼の置かれた状況や、作品づくりに対する考えや悩みが「好き」なんです。
やっぱ長くなりそうなので次回へ・・・。
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