2009年 一覧

上出恵悟 個展『美術と工芸』

昨日、長野市のギャラリー桜華書林に、上出惠悟さんの個展見に行ってきました。

案内状の写真から伝わってくる「何かスゴいもの」と、
『美術と工芸』という、ぼくにとってはなかなか刺激的な題名に魅かれました。
 

 

 
いバナナ?
不思議な魅力のそれは、九谷焼のバナナです。
植木?どこからが作品 ?
植木鉢、剪定ばさみ、これらも九谷焼。
蛍光管も九谷焼。
『空』と題された箱(普通は陶芸作品を入れる桐の箱)も九谷焼。
作品を眺めていると、陶芸という概念が揺らぎはじめ、
磁土という素材の美しさに、改めてハッとさせられます。
九谷焼の伝統や技が(工芸が)サンプリングされた音楽のように扱われ、
ポップミュージックのなかにクラシックがサンプリングされ、新しい音楽に生まれ変わるように、
新しい工芸の表現と伝統が融合しています。
それにしても尖った表現ですね~、
美術好きであれば、デュシャン?って思うんじゃないでしょうか。

九谷焼の窯元に生まれ、東京芸大で学んだ上出さんの作品は、
美術と工芸の間をさまよいながらも軽々と繋ぎ合わせてみせます。
なぜ九谷焼なのか?生まれながらにして、その問いを必要としない運命と、
美術を志向する本能がせめぎあう、ヒリヒリするような作品でした。
マルセル・デュシャンの『泉』(既製品の男性用便器にサインをし倒した状態で展示した)、
がそれまでの美術(美術館という制度による美術)の価値を転覆させて、
笑ってみせたのに対して、
上出さんのバナナは、美術に対する工芸の価値(一般的な評価による)を
転覆させるものじゃないでしょうか。
もし、単なるデュシャンの焼き増しであるならば、
上出さんの本業であるところの窯元(上出長右衛門窯)自体を
否定することになってしまって、あんまし笑えないじゃんと。

以下、上出さんの案内状より。

「美術とは概念であるから、理想的なかたちをしている。
工芸とは手業であるから、現実的なかたちをしている。
理想を求めて工芸は美術を志すが、美術性は得られたとしても美術には成れない。
工芸には背負うべき大きな制約があり、それに対して美術には制約が何一つ無いからだ。
しかし制約があるからこそ工芸は工芸として存在し、自らの強度を高める。
私は九谷焼という工芸を素材とし、その制約を引き受けるということを作品としている。」

なるほどな~、と思います。
考えの明解さが、作品に見る切れ味の根源なんでしょう。
「制約を引き受ける」という言葉の強さは、
選んでそうする工芸家と、選ばずともそうある工芸家の違いを感じさせます。

上出さんと話せたので、うえの考えを受けて質問してみました。
「美術と工芸の違いは制約とありますが、その制約を具体的にいうとどんなことでしょう?」
「美術はコンセプトなどつくりたいものから発想し(素材を選び)ますが、
工芸は素材から発想するところです。」

なるほどな~、工芸家であれば、納得の答えじゃないでしょうか。
上出さんと話している間、何度も家業である上出長右衛門窯に力を注いでいると
言っていたのが印象的でした。
工芸家になった人からすると、
生まれた家が窯元というのはなかなか楽しそうと思いますが、
生まれついた人はどう思うもの

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十五夜、お月さん。

昨夜は、十五夜でしたね。
中野にも、キレイなまんまるお月さんが顔を出してくれました。
うちでは娘も手伝って、お月見団子をこさえましたよ。
きな粉をまぶしたお団子は、ちっちゃな黄色いお月さん。
黒蜜をかけたお団子は、夜空に浮ぶ輝くお月さん。

 

お団子作りを手伝う娘の姿を見ていて、ふと気づく。
「手伝う」って、手で伝わるって書くんだなぁと。
あっちこっちまっ白にしながら、団子を丸める小さな両手は、へたっくそ。
おばあちゃんがコツを教えて、お母さんのマネをして、手から手へ伝わっていく。
子供は手伝いながら成長して、それをまた次の世代に伝えていく。
「手伝う」っていい言葉ですね。
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【 デザインの価値観<ちから>プロジェクト 】報告。

先のブログで紹介しました、武蔵野美術大学木工コースを中心に、
女子美術大学、沖縄県立芸術大学、山口県立大学と共同で行なった
横浜の展覧会の報告です。

 
 
 
 
 
 
 
 
(写真は学生、作家、卒業生の作品。全て載せたいところですが、
慌てて撮ったのでだいたいボケボケ、良く撮れていた作品を一部紹介。)
1929年に第一銀行の横浜支店として建てられた、歴史的建造物である
ヨコハマ・クリエイティブシティ・センターに、
作家やデザイナーの卵達の想像と情熱が、ところ狭しと並びました。
若者のエネルギーが凝縮された様は、なかなか壮観です。
最終日には山田節子さんの特別講義があり、ぼくも聞きに行ってきました。
デザインとは、「もの」そのものをデザインすることだけではなく、
見せることや環境をつくることなど、私たちの周りにある全てはデザインされていて、
そのデザインの善し悪しを最終的に決めるのは、
デザインする者の生き方、人間性に属するとのお話でした。
パッと見によいデザインをつくることは、多くの人に出来ることかもしれませんが、
その中身まで磨き上げることが難しいのは、
人間自体ののそれと同じであり、一朝一夕にはどうなるものでもないということでしょうか。
なんとも考えさせられる講演でした。
講演の前に山田さんと話をしていて、印象に残ったことがあります。
「もうこれからは、物は売れない時代なの。」
なんとなくは分かっていることではあるけれど、
30年以上銀座松屋の売り場のコーディネイトを担当し、
日本の生活文化をつくり出し、さらに次の時代を見据えた、
その言葉には説得力というか、摂理のようなものを感じます。
しかし、だとするならデザイン、
狭い意味でのデザイナーという職業は在り続けるのかという疑問が生まれます。
デザイン(意匠)はもともとは工芸として括られていた総合的な創造活動の一部が、
近代化、産業化の中で分化したものと言えます。
「物は売れない時代」とは物が溢れてしまった供給過多と、
環境や資源といった次なる希少価値をめぐる反消費によるものでしょう。
もしくは、一部進んだ(?)人達に見られる「たるを知る」という
価値観によるものかもしれません。
産業化が行き着くところまでいき、経済構造を次の時代にシフトしなければいけない今、
デザイナーの在り方もまた見直されなければならないでしょう。
先進国における消費の落ち込みと同時に、
グローバル化によってもたらされる、消費文化、趣味、流行のボーダレス化は、
一部の企業の一商品を数千万個、億個単位で売ることを可能にしています。
「無駄」の入る隙、一切を排したコストダウンは、
グローバル化と生産・流通・売り場の一元管理を行なえない
「無駄」のある企業の入る隙を市場から排除し、単一な商品がどの国にも並びます。
これらが意味するのは、デザイナーが活躍するであろう場が急速に失われつつあることです。
物が売れなければ、物を生産できず、デザインは不要です。
冷え込んだ市場の中で一部売れている物というのは、
数千万個も売れる超コストパホーマンス良しな商品ですから、
今までは一万個も売れれば存在できた千種の商品がコスト競争に負け、
売れなくなり淘汰されたと考えられます。
一種の物が千種を淘汰するということは、(飛躍しますが)
1000人のデザイナーの仕事を1人で可能にします。
デザイナーの仕事は減っても、毎年デザインの勉強をした若者が社会人になります。
発展途上と言われていた国々でも、経済発展は教育力の向上も伴い、
消費文化の中で育ち、それを輝かしいものとする新世代が、
デザイン教育を受け、高いデザインセンスを発揮しはじめています。
グローバル社会においては、才能さえあれば国境はありません。
それ以前にでさえ、世界的に活躍した日本のデザイナーがいることを考えてみれば、
みずみずしい才能と消費社会にまだ肯定感をもてる環境を持ち合わせた
有能なデザイナーが、
中国、インド、ベトナム、タイ・・・と次々に現れてくるのは必然です。
あまりクリエイティビティを必要としないデザイン分野においては、
安い労働力を求めて、かつて生産工場をそうしたように、
海外にアウトソーシングするのが普通になるでしょう。
(すでに、コール

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