昨日はすごくよい刺激をもらいました。
今回の営業でもっともぼくが好きなお店に行ってきたのです。
担当の方は、こどもショップのふりした大人ショップという
コンセプトで店づくりをしていて、置いてある商品(一見ガラクタ?
なものも)はひとつひとつに発見とおどろきがありました。
センスの光るかなりグットなチョイスです。
このコンセプト考えてみると、かなり深いんです。
単純に大人も楽しいということもあると思うけど、
目的や日常から切り離なしてくれる「もの」、
ワクワクしちゃう「もの」ならなんだって、何才になったって、
おもちゃになるんだっておしえてくれます。
子供の時ダンボールさえあれば、なんだって作れたし、
何時間だって遊んでいられた。
自分にしかわからない宝物を集めたり、酒瓶のふたをコマにして
月桂冠より白鶴の方が強いとか、1個で何個分もの価値があるとか、
何の根拠もないことに夢中になったりしてたっけ。
何か価値を創造するために大人になるのであれば、
あの時の自分も今と大差のない「おとな」だったのかもしれない。
なんにでもドキドキできた自分を忘れないためにも、
このショップのもつ意味はおおきい。
これおもしろいでしょ!って説明してくれた彼女は、
とっても「おとな」で「こども」な人でした。
テイクジーブロックを幼稚園で販売するきっかけになった、
出会いのときも、この感覚がありました。
担当の方とお会いして、あれこれと話していくうちに、
彼が言ったのが「こどものためって真剣に考えていくと、
おもちゃや遊具はいらないってとこに行き着くんですよね。」
おもちゃを売る立場の人がこんなことを言うなんて!
ぼくも同じ考えですって作ってる立場の人が意気投合、
まず「必要ない」を出発点に考えて行きましょうって
盛り上がって、いっきに話が進んでいきました。
彼も小さい頃空き箱でメカを作っていたなんて話してくれて、
やっぱ創造に関わる仕事をしている人はそんな経験をしてるんですね。
さて、子供におもちゃは必要ない?ですがつきつめれば、
「もうこれ以上ものはいらない」、みんなが気づき始めていることです。
大人も子供も必要なのはものじゃなくて、
どう工夫して使うかという想像力なんですね。
どんなに良質や長く使えるをうたっても、新しくものを生めば
必ずゴミは生まれます。
止まることのできない資本主義・・・つくる事を止められない自分
矛盾しているのは理解しているんです。
ものに価値をとりもどしたい、洗って使うより買うほうが安いなんて・・・
どう考えてもおかしいです。
やっぱりぼくは、自分のものづくり(わがまま?)を押し通したいです。