えんじょい 木のおもちゃ。

4月21日~5月10日までパルコ新所沢(埼玉県所沢市)で開催される、

「えんじょい 木のおもちゃ~comaam & designer’s toy~」というイベントに
『テイクジー・ブロック』が参加します。
イベント主旨がこどもが遊べる「えんじょい」なおもちゃなので、
寄木作品はありませんが、実際に遊べるところもあると思いますので、
『テイクジー・ブロック』を触って見てみたいと思っていた、
埼玉県所沢周辺の方がいましたら、ちょっとのぞいて見てください。

ほんとうは、ズーやロロも出せればよかったのですが、
急な依頼だったこともあり、ブロックのみですが、
他の木のおもちゃ工房が5つも参加しますので、
子供たちと出かければ、きっと楽しめるのではないかと思います。
がんがん遊びたおして「えんじょい」してみてはいかがでしょうか。

このイベントは埼玉の「おもちゃのこまーむ」さんが、
面白そうな工房や作家に声を掛けて集まったそうです。
「arumitoy」さん「工房mapa」さん「Joy Life Works」さん「ラトル工房ブータレブー」さん、
それぞれに創意工夫がいっぱいのおもちゃで、
子供たちの創意工夫をいっぱいお待ちしております!
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善光寺御開帳。

今日は、「善光寺さんが御開帳ですよ」と聞きつけて行ってきましたよ。
えー、もちろん牛に引かれまして善光寺でございます。
なにしろTDLこと東京デズニーランドの平均入場者数をしのぐ程の人が訪れると言うのが、
このZJGなわかですから、休日はさけ平日に行ったのですが、
数々のアトラクションはどこも長蛇の列、小一時間待ちです!のアナウンス。
え、ZJGってなんですかって、おいおいZENKOU・JI・GOKAITYOUに決まっているだろ、
日本の老若男女がだれでもが最も行きたい所の一つ、One of the most favorite places さ。
おっとごめん、思わずネイティブが顔をのぞかせてしまったかな、ソリ~。

 

入り口の提灯には祝!、お祭りみたいです。
右は、2007年に修復が終わった『善光寺山門』、
この人気アトラクションもけっこう列になっています。
ちなみに拝観料は500円で、かなり急な階段アトラクションを1人ずつ登ることができ、
なかなかスリリングです。
登った所にいる『文殊菩薩騎獅像』は見ごたえあり、再び階段を下りるのもスリリングです。
さぁ、御開帳で最も人気といえばこれ!長蛇の列です。
今日は日差しが強くて、暖かというより熱い日だったので、けっこうきつい。
列の先におわすのは、『回向柱』にございます。
この柱に触れるために並んでいたわけです、大きいですね。
回向柱のなにがすごいの?、よく聞いてくれました。
善光寺本堂にある七年に一度の御開帳の時だけ見ることのできる『前立本尊』に、
回向柱の後ろに伸びている糸が繋がっているので、
前立本尊に触れていることと同じ(なぜ?)ということになり、
その功徳ははかりしれないらしいのです(ミラクルです)。

この後は本堂に入って、『御印文頂戴』をして(列びます)、
参拝券(ちなみに500円)を購入して、
『前立本尊』をちょっと遠いな~な距離から拝んで(列びます)、
『お戒壇めぐり』(列びます)へと向かいます。
お戒壇めぐりは本堂下の真っ暗な(自分の指の先も見えません)通路を通り抜け、
途中に隠された錠前に触れることのできた勇者のみが、
往生の際に極楽へと迎えにきてもらえるという、壮大なアトラクションになっております。
なぜ?かって、これも回向柱とまったく同じギミックです、繋がっているのです。
ミラクルなのです。

さぁ、考え方によればTDLよりも人気のZJGですし、
TDLなど足下にも及ばぬ程に歴史も物語もはんぱなしに壮大です。
その上、訪れたあなたを地上のつくりものの楽園じゃなく、
本物の極楽へと連れて行く約束までしてくれます。
テストで90点以上とったらね!とかの努力は入りません。
次のクリスマスにね!とかの、いつの次をなの?をまち続ける必要もございません。
必ずや訪れる往生の際に、漏れることなく行けるわけです。
行ってよかったZJG。

え、マスコットがいなきゃ面白くないって?
もちろんご用意してあります。
本堂の裏手、なるべく人目の着かない所に、ちゃんといました。
いや、隠してるんじゃないですよ、
何度来ても楽しめる!サプライズ、そんな遊び心でございます。
名前だってほら、『善子さん』と『光子さん』・・・遊び心にございます(こういうの好きです)。
写真撮影にもってこいの人気スポットです(列びません)。
と、まぁ冗談はさて置き(さて置けない長さですが)、
会期中600万人もの人が訪れるという善光寺御開帳。
600万人という数字に驚きますが、御開帳や初詣、
なんだかんだいって日本人の信仰心ってゆるくっていい感じです。
僕もお参りするのは、初詣と困った時ぐらいの、
こんな時ばかり信仰ですが、心の平安はいがいにあるようにも思えます。
現世利益も実は聞いてくれそうだし、あの世利益はもちろんバッチリ、
どっちもOKなお願い宗教観、日本て素晴らしいんじゃないでしょうか。
健康で長生きしたい、愛する人も長生きして欲しい、死んだ後も幸せがいい。
そんな願は誰にとっても同じはず・・・、そのとおり!正解です、宗教で争う事勿れ。
春の日差しが暖かい(熱い)せいかな、平和ボケでもいいじゃない。
花も見頃のこの季節、牛に引かれて出かけてみるのもいいかもしれません。
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教科書。


ニュースです!ニュースでやんす?!
なんと!、この春出版される武蔵野美術大学の木工の教科書に、
びっくり!、このブログを見て下さってる方ならおなじみの『アインとニーチェ』が、
こっそり!、載せてもらっています。
って、こっそりと思ったら、なにやってんだい表紙に出て来ちゃって、
前に出過ぎちゃだめじゃないか~、これじゃ刷り直しだよっ、まったくも~。
えっ!これでいく?まさか・・・ほんとに、これでいくんですか?
教科書には落書きが専門だった僕が、
それなりの専門として作品を教科書に載せてもらえるなんて!
あってよいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?
と、まぁそんなやりとりがあったとかなかったとか、冗談はさておき、
こんなことが現実だなんて、ほんと嬉しい出来事です。
まさか自分が木工を始めた場所の、これから木工を始める生徒達に読まれる教科書に、
卒業後つくり続けてきた作品が紹介されるなんて!
なによりも自分の恩師達に作家としてある程度認めてもらえたのかと思うと、
なんとも感慨深く、やってきてよかった、やってみるものだなと思いました。
真新しい教科書をめくると、この課題やったな~と、
武蔵美で木工を始めた頃のことが思い出され、
当初はジョージナカシマやウェグナーに憧れて、
家具作家になりたいなんて意気込んでいたのが懐かしく思い出されます。
いつの間にかこども用の家具をテーマにして、
さらに「おもちゃ」を自分の表現に選んでいくのだけれど、
今やっている「テイクジー・トイズ」という活動の手法や技術は、
この木工工房と工芸工業デザイン学科の課程で教わったことが基本にあることを、
改めて思いました。
それにしても僕が学んだ「工芸工業デザイン学科」というネーミングは、
よく考えてみると、面白い言葉の集合だなぁと思います。
明治に西洋の意味においての「美術」という概念が入ってくる前の
日本における「美術」そのものの総体は、
まさに「工芸」であり、「美術」「工業」「デザイン」はその一部、もしくは同義でした。
それらが分割されずに、ある意味では混沌とした、またある意味では豊かな、
造形表現が存在していたのだと思います。
民芸運動の指導者、柳宗悦は『私の念願』と題する本の中で、
「一般には美術と工芸とは二つの部門に分かれいるが、元来は一つであって、
近代にこれが別れたに過ぎない。その結果後の発生である美術は更に進んだものとして、
今日では美の標準を美術に置くことを習慣とし常識としてきた。
しかし私はむしろ逆に『工芸的なるもの』にその標準を求めるのが至当(しとう)であることを
明らかにしたいのである。もろもろの美に共通する普遍的原理を立てることは、
私の念願の大きな一つである。」
と書いたのは1942年のこと。
結果から見れば、美の標準を美術から工芸に取り戻そうという
この念願は現時点ではまだ叶っていないような気がしますが、
当時は「工芸的なるもの」つまり「工芸」が、「工業(製品)」や「デザイン」などに
今のように完全に別れてしまう前の幸せな時代だったということもできます。
なぜなら、その後には「工業」や「デザイン」に、
「工芸」に残っていた他の標準も明け渡さざるをえなくなるのですから。
鑑賞において「美術」に、安価では「工業」に、機能において「デザイン」に、
突き詰め、進めていくと、どこか劣ってしまう「工芸」ですが、
「美術」が純粋美術を目指す過程で捨ててきたモノ、
「工業(製品)」が生産性を求める上で排除してきたモノ、
「デザイン」が付加価値なる謎の価値に邁進するために忘れてきてしまったモノを、
拾い集め、伝統とか、生活とか、自然とか、ぬくもりとか、
言葉にするとむずがゆいような懐かしさとともに、懐深く包み込んで、
守り育て続けて来たのは「工芸」ではなかったかと思います。
先ほどの柳宗悦の念願に足りないものがあるとするなら、
「美の標準を美術に置く」ことの「むしろ逆に『工芸的なるもの』にその標準を求め」た、
結果として「民芸」という細分化を推し進めるのではなく、
むしろ逆に「美術」も「工業」も「デザイン」も「美術工芸」も「伝統工芸」も「農民美術」も
情熱を持って美しいものを作ろうとした痕跡すべてを「工芸」と捉える方が、
「工芸」がもっていた豊かな「美の標準」なるものに近づけるのではないかと思います。
そのような意味で、工芸工業デザインという学科がもっている幅の広さは、
そこで学ぶ学生の作品を豊かなものにするに違いないと思います。
実のところ、学生時代の僕は「工芸」という分野の曖昧さ、わけの分からなさに、
反発心のようなものをもっていました。
「伝統」という重苦しさ、「用の美」とかいう中途半端な概念、
「民芸」という行き止まり感、「ぬくもり」などの気恥ずかしさ。
ただでさえパイの小さな美術の世界に、ぽっかり浮んだ「工芸」という小島のなかで、
さらに「美術工芸」だ「クラフト」だ「民芸」だ「伝統工芸」だと部族間闘争。
そんな小競り合いをしているうちに「工芸」なんて一般的には
忘れられちゃうじゃないだろうかと、焦りのようなものを感じていました。
「工芸」という分野は学校の中にしか存在していないように思えたのです。
でもそんなうがった見方は自分の無知から来るものだと、
作家活動をする中で、沢山の人やモノ、コトと出会うことで、
反省し、今は随分と理解できるようになったと思えます。
ただ、それは若者が(あの日の僕が)無知ではいけなかったということではなく、
師や学校という環境自体が「美術」や「工芸」という体系を形づくり、
反発するにしろ、素直に学ぶにしろ、その中でもがくことで、
無知のままに自身も作品も体系の一部になりうる、
もしくは若いが故、無知が故に先端にあることができてしまう可能性をもっている、
と言えるのかもしれないと思います。
おそらくそれが教育の意味であり、美術大学の有効性じゃないでしょうか。
まぁ、とにもかくにも僕のようなはみ出した表現を、
教科書の表紙に加えて下さった十時啓悦先生、田代真先生、北川八十治先生の
心の広さが、僕が学んだ「工芸」というものの豊かさなのだと思います。
先生、ほんとうにありがとうございました!
このことをなによりの応援と思い、よりいっそうがんばります。
ちなみに、一般の書店でも購入できるそうです。
内容は木の椅子の制作を中心に、木でつくられるモノなどの紹介、
アイデアスケッチからモデルの作成、図面の描き方、
木工道具、電動工具、塗装といった基礎知識まで、
カラー写真を多用してあり、初心者にも分かりやすい内容です。
マニアックな方は、美術大学の木工教育を覗いて見るのにも面白いかと思います。
■木工[樹をデザインする]
監修 十時啓悦
著者 十時啓悦・田代真・北川八十治・大串哲郎
出版 武蔵野美術大学出版局

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