2009年05月 一覧

地鎮祭。

いよいよ、始まりました!
なにが?って、家づくりなのです。

 

とはいえ、ぼくの家というか、正確には両親の家なんですが・・・。
よしみで、ぼくらも住まわしてもらえるとのことなので、夢膨らんでいます。
あこがれのペアガラス窓、あこがれの水洗トイレなのれす。
暖房費削減、引くことの、水道料アップ、ねがいましては、エコプラマイゼロ。
正解は、財布にも優しいことが地球にも優しいはずはなし。
たしか、汲取りトイレに「エコポイント」差し上げています(せん)とか、なんとか。
いや、「エコ減税」だったかな、あれ「エコ増税」だったか、
「エコ消費」、「エコ選挙」、「エコ類憐れみの令」だったような・・・。
まぁ、「エコなんとか」だとは思います。
さて、後ろに見えるは高社山。
そうここは長野県中野市、今の住所のお隣、祖母の代まで住んでいたところです。
真ん中に見える柿の木に寄り添うような、小柄な家ができる予定。
工務店の皆さんが集まって、
これまた後ろに小さく見える茶色い屋根のお寺の和尚さんを呼んでの地鎮祭です。
あれ?地鎮祭って神主さんじゃなかったっけと思ってしまいますが、
工務店の方の話では、どっちでもいいのだそう。
日本の信仰ゆるくて好きです。
普段は、お葬式やお墓でお世話になっている和尚さんが、
「おめでとうございます!」で始まる挨拶、初めて聞きました。
不思議な感じです。
そして、いつもおなじみ「般若心経」でお祝いしました。
これまた不思議な感じです。
神主さんだと、「悪いこと」が起きないように「おはらい」する感じですが、
和尚さんだと、ご先祖さんに「家立てますけど、見てて下さいね」と
挨拶する感じかなと思いました。
ともあれ、いよいよ!という気分が盛り上がり、楽しい儀式でした。
ものが出来ていく過程が好きなぼくには、完成まで楽しい日々が続きます。
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サーカス。

 先日、サーカスを見に行きました。

サーカスなんて25年ぶりくらいでしょうか、
ほとんど記憶にないくらいの昔のことです。
家から車で小一時間、窓からサーカスのテントが見えてきたら、
なんとなくテンションが上がってくるから不思議です。
娘が生まれて以来、動物園やサーカスや海などなど、
意外なところにところに出かけて、
意外に楽しく、意外に驚いたりしています。
見えていたようで、見えていなかったこと、意外に多いのかもしれません。
キグレサーカスの「芸」は、
研ぎすまされた緊張感と、熟成されたユーモアで、
テンポよく、心地よく、楽しませてくれました。
エンターテイメントはCGの時代、
そうそう驚くべきことなんてと思ってしまいますが、
鍛錬で磨かれた生の「芸」はやっぱり感動的なものです。
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骨董と工芸。

 先日、長野市にある「ガレリア表参道」というギャラリーに、

『木工家の仏壇と祈りの箱展』を見に行ってきました。
ぼくの行った日は、木工家の谷進一郎さんのギャラリートークもあり、
とても勉強になりました。
トークゲストに小布施町にある銘菓の老舗「桜井甘精堂」社長桜井佐七さん、
木彫仏像を作られている長井武志さんを交えて、
骨董収集家の青山二郎氏のお話を中心に、骨董や仏具のお話を聞きました。

 
谷進一郎さんのお話は学生時代にも聞いたことがあり、
その著作を読んだりして、尊敬している工芸家のひとりです。
谷さんの作品は、一言で言うと「日本にしかない木の家具」だと思います。
日本の木工家具は(かなりはしょって)住宅の西洋化とともに始まっていますので、
日本本来の家具というものはないし(テーブルやイスがなかったように)、
意識せずとも洋家具的に(よいわるいではなく)なってしまいます。
日本の木工家具の歴史が浅いということもありますが、
欧米の木工家の作品も日本の木工家の作品も、
作品だけ見たのでは大きな違いを感じるものは少ないです。
しかし、谷さんの作品は一見して谷さんの作品だと分かるし、
「日本」というものがにじみ出ていて、日本でしか生まれえない家具だと思います。
強い個性をもちながら、時代を超える普遍性を感じます。
作品に普遍性というものが必要かどうかは別として、骨董というのは面白い世界です。
青木二郎氏と桜井佐七さんとの、骨董を通じての交流のお話は、
作品が時代を超えることや、時を経ることで増す魅力という、
工芸家が意識せざるをえないものについて考えさせられました。
工芸家であれば一度は考えたことがあるのではないでしょうか、
何十年後、何百年後に、
自分の作品が骨董屋の店先に列んで、
通りがかった人が何かに吸い寄せられるように足を止め、
ガラス越しにそれに見入る。
何日もそれが頭から離れず、通りがかる度にながめてしまう。
ある日、たまらず店主に声をかける。
「これ、どういうものです?」
「いや、よく分からないものでね、作者とか流派とかそういうのじゃないから。」
「なんの為に作られたものなんでしょう?」
「いや、それもよく分からない、意味とかって時代で変わっちゃうし、想像するしかないね。」
「そうですか・・・よく分からないけど、なんかすごくいいんです・・・。」
「なんかいいんだよね、これ。」
「はい、・・・あの、買いたいんです、これ。」
時代を超えて、意味とか、属性とか、そういうのも超えて、
「もの」それだけから発せられる魅力が、人を引きつけてしまうようなものが確かにあります。
できることなら、そんな魅力を「もの」に宿らすことができたら、と思う・・・。
難しいことだけれど、工芸のよいところは素材自体がすでに魅力を放っていて、
それを理解していれば、かなりの部分たすけてもらえるところかなと思います。
自分の作品が骨董屋にならぶ日がくるかは分かりませんが、
ある意味では、そこからが真の勝負じゃないかと思いました。
いい作品が作りたいものです。

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