高村豊周。
うちの娘経由で、家族揃ってお腹を壊したり、
住んでる地区の協議委員になってしまい、会に参加したり、
あれよあれよと、ブログがおろそかに・・・。
今年も始まったかと思えば、もう2月だし、年を取ると時間が早く感じると言うけど、
30歳になって、つくづく納得の今日この頃です。
さて、前回の続きで「高村豊周」について少し書こうかと思います。
(とはいえこれは、樋田豊次郎著『工芸の領分』を読んだ受け売りを、
なんとなくこんな感じかなで書こうと思うので、
工芸をやってる人などは、本を読んだ方がいいです。)
高村豊周は 高村光雲の三男、高村光太郎の弟として1890年に生まれ、
東京美術学校(現:東京芸大)鋳造科で鋳金を学びます。
1926年に同年代の若者(松田権六・佐々木象堂など)と共に『无型(むけい)』という工芸団体結成。
高村は无型の中心人物として、当時の工芸界で自分の近代的工芸を主張し、
昭和初期に置ける工芸近代化に重要な役割を果たしました。
なんだかカタくなりましたが、この无型の結成時に高村が書いたといわれる宣言が、
ちょっと面白いです。
「无型の誕生」
无型は無型、型ナシだ。型をもたぬ。すべて自由に、各人各様の姿態を持つ。
それならば何でもよいかといふに、必ずしもそうではない。
各人各様の姿態を通じて目に見えぬ線の連鎖があるのでなければならぬ。
燃え上がる情熱と生一本のムキな意気込みと牛のような根気と、
そして美しい未来へのあこがれと、ーーーこれだけは是非ともなくてはかなわぬ。
懐古趣味、退嬰、萎縮、安息、死滅、空虚、沈黙、現状維持、事勿れ、
ーーーこれは无型の最も排斥するところだ。
新鮮、ブィブィッド、溌溂、前進、躍動、充実、現状破壊、未来、歓声、
ーーーすべて光ある彼方へ向かって无型は旗を振りかざす。
今は即ち今だ。飛び去る瞬間だ。この瞬間を愛せよ。この瞬間に息づく工芸美術を作れ、守れ。
大宮人が桜をかざして歩いた時代を憧憬する者よ、まづ死ね。
・・・、え・・・「死ね」って?
(近頃の若いもんは簡単に「死ね」とか言ってけしからん!なんてのは、
いつの時代もいわれているのかもしれません。)
締めの言葉がちょっとインパクトなうえ、全体的に情熱がほとばしり過ぎですが、
目を細めて読んでみれば、
80年前の工芸を志す若者の素直な気持ちが伝わる文章じゃないでしょうか。
「型をもたぬ。すべて自由に、各人各様の姿態を持つ。」とか、
「懐古趣味」「退嬰(保守的な)」「現状維持」が嫌いとか、
「前進」「躍動」「現状破壊」「未来」が好きとか、
「この瞬間に息づく工芸美術を作れ」なんて、
今の新しい表現をしようとする若者と大差ない思いじゃないかなと。
では、高村達がこんな過激に批判し、
それこそ死んで欲しいとまで思った当時の工芸とは、
いったいどんなものだったのでしょう?
なんだか長くなりそうなのと、ぼくが眠そうなので、続きはまた。