一本の釘。
いつからだったか、いつまでだったか、明日への希望や、
将来の夢を会社の成長と重ね合わせることのできた時代があったという。
個を支えたのが会社への帰属感や、終身雇用といった制度だったのは、
ほんの僅かな特殊な期間だった。
今は派遣やアルバイト、期間労働などの雇用形態のなかで、
繋がりを失った個が、
誰とでも代替え可能な自分を否応なく受け入れ、
又は拒絶して孤独や無力感を深めていく。
かつてアーツ・アンド・クラフツ運動を主宰したウィリアム・モリスは、
産業革命以後の機械化による大量生産時代の渦のなかで、
消えゆく手仕事における「働く喜び」を説いた。
彼に決定的な影響を与えたジョン・ラスキンは、
その著『ヴェニスの石』で、機械化、分業化の果てに、
「分割されたのは労働ではなく人間だった。
生命の小破片と屑片とに粉砕されたのだ。
だから、人間のうちに残された知性の小片のすべてをもってしても、
一本のピン、一本の釘の頭をつくることで消耗してしまう。」
と書いた。
つまりラスキンは、分業化が進むと、
人は一本の釘の全体をつくる能力すら失われ、
釘の頭の部分しかつくれなくなるということを懸念したのだ。
この話に例えられた人間の総合的な能力の喪失が、
労働における創造性や喜びを奪い、
労働のなかで自分を自分たらしめる重要なものを奪い取った。
「労働者の堕落によってしか得られないような便益、美、安価を
断固と投げうち、健全で人を高める労働の生産物と成果とを、
同じく断固と求めることにある。」
ラスキンの願はモリスにより実践され、アーツ・アンド・クラフツ運動になり、
かたちを変えながら世界中に広がっていった。
これが起こったのは、100年以上も前のこと。
ラスキンの願いむなしく、
今や多くの労働はマニュアル読んで、明日からでも、どなたでも、
どんな職種もOKの時代。
労働ばかりじゃない、忙しい現代人は仕事以外も効率化、
電話もTVもメールもカメラも音楽もGPSも、
なんだって手の平のなかに収まるそうで、
便利なことは良いコトだなんて思っていたら、
生活すらも自分を自分たらしめるものは無くなりそう。
僕や君が今思いついた最高のアイデアや名文句は、
そいつでちょいと調べてみれば、もう誰かが思いついているし、
そいつの画面の喜びも悲しみも世界中(先進国という)が一斉に感じてる。
べつに僕や君が居たって居なくたって、
みんなの知ってることも感じることも大差はない。
お山の大将でいることなんて出来やしないし、
もの知りじいさんでもいられない、ユニークなんて過去の話。
ケイタイやコンピューターで繋がり合い、
知識や体験が、言葉や映像で共有されていく。
君に伝えたかった言葉は、
いつのまにか誰かに届けばよくなって、宙ぶらりん。
画面の向こうの誰かなんて、ほんと誰でもよくなってしまうのかも。
しかしなんだね、あの手の平サイズの夢の機械は199ドルだとか。
叶えた夢の多さからすると、ちょっと安すぎやしません?
何を犠牲にすると、こんな値段で採算とれるんだろう?
もしかして、誰かの夢や希望なんてことはないだろうね。











