仮想現実は新世界?

今朝の新聞に「多生懸命もたらす世界へ」という記事を、
平野啓一郎さんが書いていたのがとても興味深かった。
その文章を要約すると、
「一生懸命」と言う言葉は、「一所懸命」の転じたもので、
元は鎌倉時代の御家人が、
幕府より与えられた土地を命懸けで守ることを意味していた。
「一所」から「一生」への変化は、人間が場所から解放され、
その流動性の獲得によって、アイデンティティの根拠が
生の軌跡そのものへと移行したことを示している。
懸命に生きるのが「一所」にせよ「一生」にせよ、
こうした発想が説得力を持つ根拠は、
我々の人格の住処である「身体」が、結局のところ、
分割不可能な単一性を宿命づけられていたからである。
ところが、インターネットが備えることとなった「世界性」によって、
その事情が今、変わりつつある。
ネット社会の発展により仮想現実に自由な人格を持った人間は、
「一生懸命」から「多生懸命」に生きることになるという。
ブログやSNSが一般化し、次には「セカンド・ライフ」という
もうひとつの「世界」がアメリカで人気で、
近日、日本語版が登場するのだそう。
三次元の仮想社会に願望通りの「自分」をつくり生活をさせることができる。
好きな服、乗りたい車、カッコイイ家に住み、参加者たちと会話も楽しめる。
すごいのは「セカンド・ライフ」内の経済活動を通じて得た
「リンデン・ドル」という通貨を、現実のドルと交換可能だということ。
かいつまむとこのような記事だった。
えっそんなことほんと可能?と思ってしまうが、
すでに四百万人が参加し、
トヨタや日産もセカンド・ライフ内に土地を所有していたり、
セカンド・ライフ内でのみ店舗を持つ会社もあると聞くと現実味を帯びて来る。
以前からネットゲームなどではゲーム内のアイテムを現実のお金で取引したり、
ゲーム内で知り合って結婚したカップルのお祝いに
ゲーム内のアイテムをプレゼントしたり、
はたまた、現実の彼氏とケンカして、ゲーム内の彼の所有物を勝手に捨てたら、
現実世界の裁判所で有罪になったなんてこともあったぐらいだから、
仮想世界での経済活動と現実世界の経済活動の価値が、
交換可能というのは既に起きていることなのだ。
ゲームに興味のない人でも、SNSの延長なんてぐらいな感じで参加し始めたら、
「セカンド・ライフ」という「新世界」がほんとうに出来上がり、
仮想世界の自分の方が重要であったり、
仮想世界でのみ金を稼ぐ人というのも現れて来るだろう。
神に背いて知恵の実を食べ森を追い出された人間が、
脳が描き出した都市という半仮想世界を経て、
たどり着くべくしてたどり着いた、
完全な人工の世界「セカンド・ライフ」。
動物である不自由さから自由になった人間が、
人間である不自由さからまでも自由になれるだろうか?
ぼく自身はこの種の仮想世界そのものには
まったく興味が湧かないのだけれど、
それによって世界がどう変わるかにはすごく興味が湧いてしまう。
眠くなったので、つづく・・・。
ちなみに平野さんの興味は、
ひとりの人間が多(くの)生を持った時に(身体から自由になった時)、
ある人とまた別の人との差異というのは、何か?ということにあるようです。
攻殻機動隊なんかで扱われているテーマに近いのかなぁ。

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コメント(2)

  1. 興味深いですね.
    ブログやSNSまではナントカ参加出来たけど、
    セカンド・ライフにはちょっとまだ抵抗が…
    むしろ、こうした時代だからこそ
    『“触れること”によって感じる何か』を大事にしたい.
    木の温もりや、鉄の匂い、ガラスの冷たさ、エトセトラ.
    眠くなったので、つづく・・・。

    e/ (2007.3.5 02:15
  2. セカンド・ライフが日本で盛り上がるかはビミョウですね。
    CGがださいような感じがするんですが、
    今の若者はこの感じ好きなのかな。
    触れる、感じる、ほんとに大事なことだと思います。
    しかし、一体何にリアリティを見いだせばいいのかが問題。
    素材そのものに備わった魅力を感じたいですね。

    中川岳二 (2007.3.6 01:17

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