もりたまいさんへ。
『「愛」のカタチ。』のブログに、
たくさんのあたたかい言葉が寄せられて、ほんとうに嬉しく思います。
涙がなんどもこぼれてきました。
仕事中にも思い出しては、ニヤけてみたり、ウルウルしたり、
あかちゃんとは、すごいパワーの持ち主みたいです。
なにかが伝わってきます。
今は細胞分裂で相当にいそがしそうだけど、
「がんばれっ!みんなが応援してくれてるよ。」
応援コメントにお返事を書いていて、
どうしてもどうしてもみなさんにも知ってもらいたい、
そしていっしょに考えてもらいたいことがありました。
ひとりでは絶対に答えのでない事なので、
以下にそのコメントと
ぼくのコメントを抜き出させてもらいました。
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おめでとう!!本当におめでとう!!
二人に赤ちゃんが来るんだね。
二人が結婚するんだね。 嬉しいよ~♪
>しあわせなことに、ぼくは父親になります。
この言葉に涙が出ました。
まさおくん(夫)にも、この気持ち味合わせてあげたい。
治療を復活させる勇気がなかったのですが、
ちょっと真剣に考え始めようかと思いました。
中川さんの言葉って、ストンと心に入るんだよな。。。
ホント、二人ともおめでとう☆
| もりたまい | 2007/01/20 10:31 AM |
>もりたまいさん
ありがとうございます!
まいさんに結婚しなさいと勧められたのが、懐かしいなぁ。
こんなに早くなりました、不思議なものです。
治療の話、たいへんだったのですね。
不妊治療に関しては「神の領域」などとも言われたりしますが、
人間は、アダムとイブが「知恵のリンゴ」を食べた時から、
その領域に踏み込み、医療や宗教や政治などで「命」を操ってきた筈です。
今さらここまでですと、きれいに線が引けるものでもない。
治療という手段を選べる事が気持ちを複雑にします。
でも、しあわせになるためだったら、
神様だって絶対許してくれるはずです。
たいへんな道だと思います、でももしその道への矢印を選ぶのなら
無責任には言えない事だけど、「がんばって!」とエールを送ります。
そしてぼくのことがきっかけになるのなら、とても嬉しく思います。
| 中川岳二 | 2007/01/20 8:43 PM |
もりたまいさんへ。
アカリ (2007.1.21 20:39)不妊治療は精神的にも肉体的にも、苦痛を伴うものと聞いています… 本当に辛いと思います… きっと神様がみていて下さると信じて、私はただ、祈ることしか出来ません。どうか小さな芽が、あなた方の元へ舞い降りますように…
>アカリさん
中川岳二 (2007.1.22 01:03)アカリさんメッセージありがとうございます!
子供を授かることが、
こんなにもしあわせであることを知ったばかりなので、
僕もできることであれば望む人の元へ舞い降りることを、
切に願います。
モリタ夫妻はとても素敵なふたりなので、
そっと背中を押してあげれたら・・・と思っています。
今、あこちゃんに教えてもらって、ここにきました。
もりたまい (2007.1.23 20:29)中川さん、そしてそばにいるであろう牧野さん。
そして、アカリさん。
ありがとう。
舞い降りる、素敵な言葉です。
今までね、何度も「子供はいた方がいい」って言われたけど、
その度に、その言葉に疑問を感じていました。
逆に、できない人や出会えない人だっているから、
反発心を持ったりしている部分もあって、
最近は子供がほしいと思ったことがなかったんだよね。
だけど、中川さんの文章読んでると、
ホント、不思議と子供が欲しいって気持ちが自然と沸いてくる。
ここ半年は、スケジュールが目白押しだけど、
中川さんのブログ見ながら、この温かい気持ちをじっくり育てていきたいと思います。
この気持ちを沸かせてくれて、ありがとう☆
>もりたまいさん
中川岳二 (2007.1.23 23:00)なにやら新しい事業でお忙しいとのこと、
新聞で拝見しましたよ。
がんばってください!
温かい気持ちをじっくり育てていけば、
きっとしあわせになれますよね。
お祈りしております。
実は私も子供を授かる前に、短期間でしたが病院に通った事がありました。幸いなことに、今は一児の母となりました。 自分の中に宿った小さな命は、やがてかけがえのない存在になりました。どうか、小さな命が舞い降りますように… 祈っています。
アカリ (2007.1.24 18:17)>アカリさん
中川岳二 (2007.1.24 22:41)そうだったのですか、よかったですね。
かけがえない存在がでいること、
いろいろと考えさせられました。
いっしょに祈りましょう。
ずっとずっと、なんだかモヤモヤしていました。
Panana (2007.1.28 13:42)3人の子どもに恵まれた私がコメントしてもいいのか、喜びに浸っている中川夫妻の気持ちに水を差してしまわないか、ずっと迷っていました。
今もドキドキしながら書いています。
どうして神様は赤ちゃんの誕生を待ち望んで、きっと素敵な親になるような人に子どもを授けないで、邪険にしたり、虐待したり、殺してしまうような人に子どもを授けるのかな、と時々、考えることがあります。
以前、知人が「子育てに免許があったら、免許をもっていますか?自動車学校のようなものがあったら、自分はどの段階ですか?」と尋ねたことがありました。
実は知人夫妻は9年間の不妊治療の末、治療をやめて、養子をもらう決心をしたそうです。
私がその質問を受けた時には既に、その子どもさんも保育園に入っていました。二人の子どもさんを受け入れたのですが、うちの子供と同じ年頃なので、今は、思春期真っ只中です。
小さい時から知っていて、てっきり血の繋がった親子だとばかり思っていたので、養子と聞いた時には驚きましたが、お二人が「授かること」より「育てていくこと」を選ばれたことに感動しました。
その子達が今、両親の光を受けて、幸せに立派に育っているのを見るたびに、ご両親の決心がなかったら、この子達はどんな人生を送っていたのだろう、と考えます。
命を授かること、それはとても素晴らしいことです。
でも、それに固執するのは大人のエゴのように感じるのです。
昔なら「多子児」になっていた体外受精での不妊治療。
今は、胎児を選べるそうですね。
遺伝子だけを受け継いで代理出産される子ども。
子どもはそんなにしてまで「生んで欲しかった」のかな?
親殺し、子殺しが頻繁に報道される中で、「出産」だけが全てではないなって感じるのです。
いかに育てるか、いかに子どもに幸せを感じさているか。
それが親としてできることじゃないかな?って感じるのです。
上記の知人夫妻は立派な「親」だと思います。
遺伝子を受け継がせた親達より「親」をしていると思います。
3人の子どもを育ててきて、子育ての素晴らしさを感じます。
と言っても、ノイローゼになりかけたことも、もう要らない!と思ったこともあります。
キャリアを諦めたり、経済的な負担がかかったり、自分の時間すらなくなったり、色んなものを犠牲にしなくてはいけないかもしれません。
でも、私は、それであっても、こんな素晴らしいことを多くの人に経験して欲しいと思います。
子どもから沢山のことを学んだり、無償の愛情を受けたり、自信と勇気をもらったり・・・・。
でも、それは「出産」でなくても、今、愛情を求めている子ども達からでも受けられるんじゃないかって思うのです。
「生む」こと以上に「育てること」の方が、ずっとずっと時間をかけるに値することではないかな、と感じるのです。
それが、先に感じた神様への疑問の答えのような気がするのです。
>Pananaさん
中川岳二 (2007.1.29 02:13)すばらしいコメントありがとうございます!
29日のブログに詳しく書かせてもらいました。