『Ngene(エヌジン)』

『Ngene』という長野の情報サイトで、

『こてんこてん展』を「アートな事件」として紹介していただいています。
なかなか充実な記事になっていますので、ぜひのぞいてみてください。
「なんでや、ワシはしらんがな!
たしかにあの時間は現場にいたがな、なにせ個展やから。
ワシの晴れ舞台やし、年に一度あるかないかやし、福を呼ばなならんし。
ワシ福助やから。
だからって何でやねん、事件やなんて!事件やなんて!
ワシはやってないで、ほんまやで!」
そうそう、やってないって言う人程怪しい上に、アリバイがないので福助を逮捕します!
ガッチャンで、はい、お縄。
これにて、この事件は一件落着・・・、ってそっちの事件じゃないですよ。
じゃあどっちの事件なのかって、
「事件とは、 人々の関心をひく出来事。世間が話題にし、問題となる出来事」
という用法の方なので、福助は落ち着きなさい。
「なんや、そっちかいな。
なんかほれ、シートベルトちゃんとしてて、速度も出し過ぎてないのに、
パトカー見るとドキッとするやん。
事件!なんて言われると、やましいこと無くてもドッキとすんねん。
ワシまたなんかしてもうたかって、今日こそお縄かなって。」
また?やっぱりやましいことあるんじゃないの?
「まぁ、なんて言うんかなぁ、ワシかて昔から福助してたわけやないんやで。
やんちゃしてた頃だってあるし、お天道様をまともに見れない頃やってあったなぁ。
・・・・。
いいか、福助は福呼ぶのが仕事や、そやけど幸福って何なんやろな。
ワシもなぁ、塀の中でいろんな懲りない面々におうたよ。
見た目はあれやけど、話すと面白い奴らばっかやった。
何か共通するもんがあるなんて思って、子どもの頃の話しにまでなると、たいがい泣けるねん。
普通の家に育ったあんたからすれば、
不幸やなんて思ってしまう境遇のもんばっかしかもしれん。
塀の中は彼らを社会から遠ざける壁というより、彼らを社会から守る壁に思えたくらいや。
あんたが思い描くような幸福とはほど遠い場所や。
みてみい、人の幸福をねたむやつ、人の不幸が蜜の味するゆうやつ。
ワシが福を呼ぶ、しかしそれはあんたの幸福だけなんや。
何処かに幸福が訪れれば、何処かに不幸が訪れるそんなもんなのかもしれんなぁ。
その逆もまたしかりや。
『福過ぎて禍生ず』なんてなことも昔っからいわれてきた。
福呼ぶってなんなんやろんぁ、ワシってなんなんや・・・。」
僕にとっては福助さんは福助さんだし、よくわからないけど福っていいよ、すごく。
「ありがとな、ワシ、あんたの福助でほんとよかったわ。
自分の幸福、他人の幸福、願ってみたところで、結局はワシはワシの仕事するしかない。
自分が幸福であれば、周りも幸福なはずと信じるしかない。
そして、その周りの円を少しづつ少しづつ大きくしていくんや!
ええか、今、ワシええこと言ったで!
あんた!迷っている場合か、身を粉にして働け!
なにが幸福かなんて、あんたのような青二才に分かってたまるか。
自分の幸せ考えて、目の前のことがむしゃらにやった先に見えてきたものが、
幸福でも不幸でも!そのまた逆も真なりや!ほな!」
迷っていたのは福助だよね。
結局、結論もどっちつかずでよく分からないし。
脇道にそれ過ぎましたが、「アートな事件」を読んで思うのは、
どんなことでも本気でやっていれば必ず見つけ出して、
そのことを伝えてくれる人が現れるってことでしょうか。
『Ngene』の山谷さんが「アイ・ウェイウェイ展」の僕のブログを読んで、
作品に興味を持ってくれたというのは、正直嬉しかったです。
アイ・ウェイウェイは、世界的に評価されるに至っても、
その表現活動をアートという上辺だけでは済ませられないが故に、
彼と彼が愛する中国という国とを衝突させてしまう。
世界的に活躍することがローカルには彼を縛り付けてしまう皮肉だ。
その国の人の幸福を思って
世界に向けて開いていくことと、世界から閉ざしてしまうこと、
どちらがより多くの人に取っての幸福であるかという選択をするのが政治のすることであるなら、
そこからこぼれ落ちるものを受け止める手段や選択肢はいかにして用意されるべきなのか。
11月6日の毎日新聞の『TPP参加問題』と題するコラムで精神科医の斉藤環さんは、
「自由貿易に固執し続ければ、社会の不平等と格差は拡大し、
優遇された超富裕層が社会を支配することになる。
かくして、自由主義が民主主義を破壊するという逆説が起こる(略)
政治的立場の違いにもかかわらず、ジジェクとトッドの主張が構造的に似かよってしまうこと。
なんと、資本主義と自由貿易がゆきつく“理想の体制”が中国である、
というアイロニーまで同じなのだ。
確かにジジェクが言うように、資本主義と民主主義の結婚は終わりつつあるのだろう。
資本主義(≒自由貿易)が最もその矛盾(恐慌)に直面することなく、
安定的に富を生み出すシステムモデルが、
現代中国のような統制された超格差社会であるとすれば。
アメリカや欧州連合(EU)、そして日本が
富裕層のための社会主義国家に変貌するのも遠い未来のことではないのかもしれない。
この流れを反転させるべく、ジジェクは「コミュニズムへの回帰」を、
トッドは「プラグマティックな保護主義」を提唱する。
現実性という点から言えば、トッドの立場に分があるようにも思われる。
いずれにせよ二人に共通するのは、システムよりも個人を、
つまり壁より卵を擁護する立場だけは決して譲るまい、という覚悟のほうだ。
それがどのような名前で呼ばれようと構わないが、私も彼らの側に立ちたい。
ならば答えは自(おの)ずと明らかだ。私は日本のTPP参加に反対である。」と言う。
今アメリカで起きている反格差社会デモの参加者が見上げるビルも、
アイ・ウェイウェイが衝突する壁も、
壁の色は違えど、中身は似たようなものなのかもしれない。
村上春樹さんが用いた「壁と卵の話し」で誰もが卵でありたいと思うのだろうと思います。 しかいその卵であると思っていた自分が、より「小さな者」から見ればその薄い殻ですら壁でしかなく、 立場を変えれば、自分こそが壁に見られているかもしれない。 ともあれ、どちらが壁でどちらが卵かという問題よりも、 ことの本質はアメリカの若者やアイ・ウェイウェイの見上げる壁は もう崩れ落ちそうな壁であって、卵の衝撃にも怯え始めているということかもしれない。 彼らの怯えが、格差や逮捕というかたちで問題になってきているだけならば、 その壁の向こうにも守るべき卵がいるだけで、取り払われた壁の両側には残されるのは、卵達だけ。 壁が無くなることだけでは解決しないばかりか、 問題の矛先を向けるための壁を両側から支えなければならない状態にさえ思われるくらい。 仮にどうだろう、ほんとうに全ての壁が取り払われた「幸福」な未来があったとして、 それはどれだけ多くの人の「幸福」のことなんだろう。 他人の不幸は蜜の味という幸福のことであれば、 立ち向かう、あるいは守られる壁はある方が分かりやすくていいのかもしれない。 自分の幸福を守ろうとする卵の殻と、他人が守ろうとする卵の殻がぶつかり合うところに壁が出来る。 国単位、民族単位、文化単位でその壁は厚くなり高くなる。 低い壁であれば家族の中にだって立ち上がってしまう。 ならば日本の民家が障子や襖で隔ててきたように、なるべく薄い壁にしてみてはどうだろう。 どうしても壁に衝突してしまう人、壁の向こう側あるいはこっち側にきたい人が、 思い切れば突き破れる程度に薄い壁ならば、 壁はあった方が誰かの幸福を守れるように思う。 「ZZZ・・・Z・うん?・・・あっ、なんや話しは終わったかぁ? わるいわるい、眠くて最後の方よう分からんかったけど、 ワシがいいこと言ったのだけ、忘れないでね。 あんたは身を粉にする、わしは幸福を呼ぶ、それしかでけへん!それでええんや、ほな!」

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コメント(2)

  1. 柔軟な壁ならどうだろう?当たっても衝突しても痛くないクッションみたいな。女性や子供やお年寄りを守る温かい壁、殻。tppはアメリカだけを守る為の物なら悲しい。貧富格差のその先にいつも軍需産業が見え隠れしていると思う。武器に変わる何かは愛ではない何かだと思う。ジョンウェィ監督の映画で富裕層にバラ一厘を路上で売る5歳の身寄りのない子供達。脱出せぬように檻に寝かされ売った金を悪に巻き上げられおかゆだけでまた働かされ。世界が一部の悪の思うままになりませんように。子供の時から人間が働き蟻の如く蹴散らかされたり粉々になりませんように。だけどかっこいいテクジと福助がいるから大丈夫と思う。世界の愛が勝ちますように。

    後ろの正面だ~れ (2011.11.25 21:31
  2. >後ろの正面だ~れさん
    例えばマンションやアパートに住んでいるとして、
    壁の向こう側から、絶えず騒がしい子供の声がするとします。
    挨拶ひとつ交わしたことのない隣人の子であれば、
    時にイラッとしてしまうことがあるかもしれません。
    仲良く付き合っている隣人であれば、
    ◯◯ちゃんは毎日元気だな~まったく程度で流せるかもしれません。
    隣が自分の息子夫婦が住む家であれば、
    騒がしい子供達の声は心地よく響き、安らぎすら感じるかもしれません。
    家を隔てる壁は変わらず、子供の騒がしさも変らないのに(現象は変わらないのに)、
    隣人との関係性によって受ける心証は全く違ってきます。
    理想をいえば、壁の有る無し、内外で起こる問題の有る無しよりも、
    関係性がどうあるか、
    TPPの隣人達をどう思っているか、思われているかなのかなと思いす。
    後ろの正面さんが「世界の愛が勝ちますように」というように、
    お題目ではない世界平和や世界の平等が達成されることを、
    私たちが少年のように願うのであれば、
    あらゆる壁は障壁ではなくなるかもしれません。
    あるいは、ブータンのように国の伝統や文化、様式を強く打ち出し、
    それを受け入れない者は、国を去ることにならざるを得ないような、
    壁を上手く作り、壁の内側の者の幸せを追求することを選び、
    隣人(国)との関係も上手く結んでいこうとするやり方で、
    少年の願いを叶えようとする方法もあるかもしれません。

    中川岳二 (2011.11.28 01:33

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