たまに考えてみる 一覧

うそをつけない木工家。

先日、材木屋さんにパオローズという木を製材に行ってきた。
直径90センチの大木。
切り割ったばかりの木は匂い立つような魅力があり、
閉じ込められていた生気が解き放たれたかのよう。

 

この木は、近くに住む大工さんに譲って頂いた。
樹齢100年は下らない上に、大工さんが2、30年前に買って置いたものだとか。
建設中の家に使えと、くれたものなのだけれど
乾燥が間に合わないなど種々の問題があり断念。
かなり堅い木なので、寄せ木の作品には不向きだが、
とてもいい色と木目なので、いつか家具や小物の作品にしようかと考えている。
さて、工場長と話していて、ふと思ったことがある。
木の仕事に関わっている人間は正直な人が多いような気がすると。
自分でいうなという気もするが、
僕がというのではなく、周りにいる木工作家や木材屋さん、
木工機械の業者の人などのことだ。
おそらくそれは、木にはウソがつけないからではないだろうか。
木工家であれば、見てくれをきれいに作ることよりも、
表には出てこない「ほぞ」などの構造に関わる部分を
より丁寧につくることを良心と考えている。
納品する時には見えてこないところだが、
100年、200年と使い続けられる家具にするためには一番大事な場所だからだ。
見た目を大事にするのは、
目の前のお客さんの気を引くのには大事なことかもしれないが、
「ほぞ」を大事に作る木工家は、
(誤解を恐れずにいえば)お客さんに対して仕事をしているのではないのだ。
人の好みなどという、普遍がありそうで無さそうな微妙なものを頼りにするのではなく、
自分よりも100年も200年も先に、地球に生まれた木に対する敬意を持ち、
木に対して恥ずかしくない仕事をしているかを問い続けている。
一本の立木を見てみる、
幹から枝が分かれ、さらに梢に分かれて、その先には無数の葉が茂る。
葉の間には鳥や毛虫など無数の生物が生活している。
葉の先端から、空を見上れば、全ての生物がその恩恵にあずかることを思い出す。
深く息を吸って、また幹に目を落とすと、それが一本の幹であることに驚く。
完成された強靭で柔軟な構造と生命の秩序が、そこに見て取れる。
その「完全」を切り倒して、何を生むことができるだろうか?
自問は繰り返され、小さな自答が滲み出る。
それでもなお木の魅力に取り付かれた僕たちは、木を切り倒して仕事をする。
うそをつくことはできない。
うそのない仕事とは、けして完ぺきな仕事のことではない。
木は作品、製品になった後も「うごく」。
湿度によって膨張・収縮を繰り返す木材の性質上、
割れや反りの可能性をゼロにすることはできない。
だから僕たちは自分のできる限りの仕事によって生まれたその作品を、
買って下さった方に、「完全」でないこと(反る・割れる)を告げながらお渡ししている。
それは、うそがつけないというだけではなく、買って下さった方にも、
「完全」なる自然を切り取り、自然を超越することなどできないことを受け入れながら、
「不完全」なものをつくり続けてきた、人間のいとなみと、
自然から離れ過ぎたがゆえに、自ら「エコ」をうたってしまう行いの「不全」を
知って頂きたいという、木工家の下心だったりする。
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骨董と工芸。

 先日、長野市にある「ガレリア表参道」というギャラリーに、

『木工家の仏壇と祈りの箱展』を見に行ってきました。
ぼくの行った日は、木工家の谷進一郎さんのギャラリートークもあり、
とても勉強になりました。
トークゲストに小布施町にある銘菓の老舗「桜井甘精堂」社長桜井佐七さん、
木彫仏像を作られている長井武志さんを交えて、
骨董収集家の青山二郎氏のお話を中心に、骨董や仏具のお話を聞きました。

 
谷進一郎さんのお話は学生時代にも聞いたことがあり、
その著作を読んだりして、尊敬している工芸家のひとりです。
谷さんの作品は、一言で言うと「日本にしかない木の家具」だと思います。
日本の木工家具は(かなりはしょって)住宅の西洋化とともに始まっていますので、
日本本来の家具というものはないし(テーブルやイスがなかったように)、
意識せずとも洋家具的に(よいわるいではなく)なってしまいます。
日本の木工家具の歴史が浅いということもありますが、
欧米の木工家の作品も日本の木工家の作品も、
作品だけ見たのでは大きな違いを感じるものは少ないです。
しかし、谷さんの作品は一見して谷さんの作品だと分かるし、
「日本」というものがにじみ出ていて、日本でしか生まれえない家具だと思います。
強い個性をもちながら、時代を超える普遍性を感じます。
作品に普遍性というものが必要かどうかは別として、骨董というのは面白い世界です。
青木二郎氏と桜井佐七さんとの、骨董を通じての交流のお話は、
作品が時代を超えることや、時を経ることで増す魅力という、
工芸家が意識せざるをえないものについて考えさせられました。
工芸家であれば一度は考えたことがあるのではないでしょうか、
何十年後、何百年後に、
自分の作品が骨董屋の店先に列んで、
通りがかった人が何かに吸い寄せられるように足を止め、
ガラス越しにそれに見入る。
何日もそれが頭から離れず、通りがかる度にながめてしまう。
ある日、たまらず店主に声をかける。
「これ、どういうものです?」
「いや、よく分からないものでね、作者とか流派とかそういうのじゃないから。」
「なんの為に作られたものなんでしょう?」
「いや、それもよく分からない、意味とかって時代で変わっちゃうし、想像するしかないね。」
「そうですか・・・よく分からないけど、なんかすごくいいんです・・・。」
「なんかいいんだよね、これ。」
「はい、・・・あの、買いたいんです、これ。」
時代を超えて、意味とか、属性とか、そういうのも超えて、
「もの」それだけから発せられる魅力が、人を引きつけてしまうようなものが確かにあります。
できることなら、そんな魅力を「もの」に宿らすことができたら、と思う・・・。
難しいことだけれど、工芸のよいところは素材自体がすでに魅力を放っていて、
それを理解していれば、かなりの部分たすけてもらえるところかなと思います。
自分の作品が骨董屋にならぶ日がくるかは分かりませんが、
ある意味では、そこからが真の勝負じゃないかと思いました。
いい作品が作りたいものです。

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教科書。


ニュースです!ニュースでやんす?!
なんと!、この春出版される武蔵野美術大学の木工の教科書に、
びっくり!、このブログを見て下さってる方ならおなじみの『アインとニーチェ』が、
こっそり!、載せてもらっています。
って、こっそりと思ったら、なにやってんだい表紙に出て来ちゃって、
前に出過ぎちゃだめじゃないか~、これじゃ刷り直しだよっ、まったくも~。
えっ!これでいく?まさか・・・ほんとに、これでいくんですか?
教科書には落書きが専門だった僕が、
それなりの専門として作品を教科書に載せてもらえるなんて!
あってよいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?
と、まぁそんなやりとりがあったとかなかったとか、冗談はさておき、
こんなことが現実だなんて、ほんと嬉しい出来事です。
まさか自分が木工を始めた場所の、これから木工を始める生徒達に読まれる教科書に、
卒業後つくり続けてきた作品が紹介されるなんて!
なによりも自分の恩師達に作家としてある程度認めてもらえたのかと思うと、
なんとも感慨深く、やってきてよかった、やってみるものだなと思いました。
真新しい教科書をめくると、この課題やったな~と、
武蔵美で木工を始めた頃のことが思い出され、
当初はジョージナカシマやウェグナーに憧れて、
家具作家になりたいなんて意気込んでいたのが懐かしく思い出されます。
いつの間にかこども用の家具をテーマにして、
さらに「おもちゃ」を自分の表現に選んでいくのだけれど、
今やっている「テイクジー・トイズ」という活動の手法や技術は、
この木工工房と工芸工業デザイン学科の課程で教わったことが基本にあることを、
改めて思いました。
それにしても僕が学んだ「工芸工業デザイン学科」というネーミングは、
よく考えてみると、面白い言葉の集合だなぁと思います。
明治に西洋の意味においての「美術」という概念が入ってくる前の
日本における「美術」そのものの総体は、
まさに「工芸」であり、「美術」「工業」「デザイン」はその一部、もしくは同義でした。
それらが分割されずに、ある意味では混沌とした、またある意味では豊かな、
造形表現が存在していたのだと思います。
民芸運動の指導者、柳宗悦は『私の念願』と題する本の中で、
「一般には美術と工芸とは二つの部門に分かれいるが、元来は一つであって、
近代にこれが別れたに過ぎない。その結果後の発生である美術は更に進んだものとして、
今日では美の標準を美術に置くことを習慣とし常識としてきた。
しかし私はむしろ逆に『工芸的なるもの』にその標準を求めるのが至当(しとう)であることを
明らかにしたいのである。もろもろの美に共通する普遍的原理を立てることは、
私の念願の大きな一つである。」
と書いたのは1942年のこと。
結果から見れば、美の標準を美術から工芸に取り戻そうという
この念願は現時点ではまだ叶っていないような気がしますが、
当時は「工芸的なるもの」つまり「工芸」が、「工業(製品)」や「デザイン」などに
今のように完全に別れてしまう前の幸せな時代だったということもできます。
なぜなら、その後には「工業」や「デザイン」に、
「工芸」に残っていた他の標準も明け渡さざるをえなくなるのですから。
鑑賞において「美術」に、安価では「工業」に、機能において「デザイン」に、
突き詰め、進めていくと、どこか劣ってしまう「工芸」ですが、
「美術」が純粋美術を目指す過程で捨ててきたモノ、
「工業(製品)」が生産性を求める上で排除してきたモノ、
「デザイン」が付加価値なる謎の価値に邁進するために忘れてきてしまったモノを、
拾い集め、伝統とか、生活とか、自然とか、ぬくもりとか、
言葉にするとむずがゆいような懐かしさとともに、懐深く包み込んで、
守り育て続けて来たのは「工芸」ではなかったかと思います。
先ほどの柳宗悦の念願に足りないものがあるとするなら、
「美の標準を美術に置く」ことの「むしろ逆に『工芸的なるもの』にその標準を求め」た、
結果として「民芸」という細分化を推し進めるのではなく、
むしろ逆に「美術」も「工業」も「デザイン」も「美術工芸」も「伝統工芸」も「農民美術」も
情熱を持って美しいものを作ろうとした痕跡すべてを「工芸」と捉える方が、
「工芸」がもっていた豊かな「美の標準」なるものに近づけるのではないかと思います。
そのような意味で、工芸工業デザインという学科がもっている幅の広さは、
そこで学ぶ学生の作品を豊かなものにするに違いないと思います。
実のところ、学生時代の僕は「工芸」という分野の曖昧さ、わけの分からなさに、
反発心のようなものをもっていました。
「伝統」という重苦しさ、「用の美」とかいう中途半端な概念、
「民芸」という行き止まり感、「ぬくもり」などの気恥ずかしさ。
ただでさえパイの小さな美術の世界に、ぽっかり浮んだ「工芸」という小島のなかで、
さらに「美術工芸」だ「クラフト」だ「民芸」だ「伝統工芸」だと部族間闘争。
そんな小競り合いをしているうちに「工芸」なんて一般的には
忘れられちゃうじゃないだろうかと、焦りのようなものを感じていました。
「工芸」という分野は学校の中にしか存在していないように思えたのです。
でもそんなうがった見方は自分の無知から来るものだと、
作家活動をする中で、沢山の人やモノ、コトと出会うことで、
反省し、今は随分と理解できるようになったと思えます。
ただ、それは若者が(あの日の僕が)無知ではいけなかったということではなく、
師や学校という環境自体が「美術」や「工芸」という体系を形づくり、
反発するにしろ、素直に学ぶにしろ、その中でもがくことで、
無知のままに自身も作品も体系の一部になりうる、
もしくは若いが故、無知が故に先端にあることができてしまう可能性をもっている、
と言えるのかもしれないと思います。
おそらくそれが教育の意味であり、美術大学の有効性じゃないでしょうか。
まぁ、とにもかくにも僕のようなはみ出した表現を、
教科書の表紙に加えて下さった十時啓悦先生、田代真先生、北川八十治先生の
心の広さが、僕が学んだ「工芸」というものの豊かさなのだと思います。
先生、ほんとうにありがとうございました!
このことをなによりの応援と思い、よりいっそうがんばります。
ちなみに、一般の書店でも購入できるそうです。
内容は木の椅子の制作を中心に、木でつくられるモノなどの紹介、
アイデアスケッチからモデルの作成、図面の描き方、
木工道具、電動工具、塗装といった基礎知識まで、
カラー写真を多用してあり、初心者にも分かりやすい内容です。
マニアックな方は、美術大学の木工教育を覗いて見るのにも面白いかと思います。
■木工[樹をデザインする]
監修 十時啓悦
著者 十時啓悦・田代真・北川八十治・大串哲郎
出版 武蔵野美術大学出版局

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