たまに考えてみる 一覧

めりーくりすますです。 

中野市は朝から雪が降り、ぐっと冷え込みました。
寒いけれども、いや寒いからこそクリスマスですね。
テイクジートイズのクリスマスカードは届きましたでしょうか?
去年は事情によりお休みしましたクリスマスカード、今年は復活しました。
NASAから地球外生命体の可能性の発表があったばかりですが、
こちらTAXAによる独自の調査によって驚くべき事実が発見されました。
月周回衛星『かぐや』によって送られて来た画像に確信を得たTAXAでは、
民間企業との共同研究で進めていた日本独自の有人ロケット『兎月』の打ち上げと、
世界初の二足歩行ロボット『兎人』の月面着陸を成功させ、
月面での地球外生命体との接触に成功しました。
『ラビニアン』と名付けられた彼らは、
地底に住み月面では高速で移動するために今まで発見されなかったと考えられます。
今回の調査では、彼らを発見する手段のひとつとして
誰の好みでも的中させるというサンタクロース氏の助言により
ニンジンをプレゼントに持って行ったことが大発見に繋がったと報告されました。
地下を調べる準備がなかったため未確認ではありますが、
彼らは地底でかなりの文明を築いていることが予想されています。
探査機が月面を離れる直前に、再び現れた彼らは宇宙飛行士に「何か」を手渡しました。
「何か」については、TAXAと専門家による特別チームが解析中で、
形状についてのみ日本の「鏡餅」に似ていると報告されています。
接触の際に『兎人』が得た画像や生体情報から『ラビニアン』は、
11月にウキウキリークスによる機密文書の公開により発覚した「アームストロング船長の過ち」
の文書に書かれていたことと深い関わりがあるかも知れないと、
特別チームの今までの研究で明らかになって来ています。
アームストロング氏が月面着陸に際し米国の旗を立てた下に何かを
埋めたのではないかという噂は前々からありました。
公開された文書は船内研究のために持ち込まれたウサギについてのことでした。
ウサギはアポロ11号打ち上げまでの3ヶ月間、
宇宙飛行士に懐かせるためにアームストロング氏が育てていました。
もともと動物好きだったアームストロング氏はウサギに強い愛着が芽生え、
地球を離れてすぐに船内でウサギが死んだ時には涙を流して悲しんだそうです。
帰還後、オルドリン飛行士がウサギのなきがらがないことに気づき報告しましたが、
月面着陸成功のフィーバーの中で一時はうやむやになっていったそうです。
後に酒の席でオルドリン氏に追求され、アームストロング氏が自ら上部に報告をしました。
しかしこのことが公になることはなく、米国において機密事項となっていたと考えられます。
アームストロング氏のウサギが事実であれば、
『ラビニアン』の今後の研究に重要な意味を持つことになるので、
TAXAはNASAを通じて米国に協力を要請しています。
とまぁ、冗談はさておき、
クリスマスカード届いてないよ!私も欲しいよ!という方は
<mail@take-g.com>までご連絡ください。
メールには郵便番号と住所、お名前を明記の上、カード希望と書いて下さい。
では、よいクリスマスを!
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ドラえもん。

昨日、新聞を読んでいて思い出したことがあった。

目の前には自分の「夢」しか見えなくて、
自分の周りのことことなんて目にも入っていなかった頃。
引っ越して来て、まだここ(中野市)に馴染もうなんて思ってもいなかった頃のこと。
近所に住むおばあちゃんで、よく話しかけてくれる人がいた。
僕が草刈りしている時や仕事中の工房をのぞき込んだりして。
おばあちゃんは少しぼけ(認知症)ていて、散歩が日課で、話を聞くと僕の祖母の友人だという。
「ミノルさんの子かい?」
「いや、ミノル(祖父)の長男のタカオ(父)の子どもだよ」
「ああそうかいタカオちゃんの子かい。で、何やってるの?」
「木のおもちゃを作ってるんだよ」
「ああ、そりゃいいや、手に職があるのが一番いい」
「そうかもね、どうもです」
「マスコばあちゃんは元気かい?このごろ来ないね。
あんたのとこは皆で(中野を)出てっちゃったからね、寂しいね。
私んとこのも越谷(埼玉県)に住んでるの」
「みんな都会がいいって、出ってちゃった時期があったんだね」
「田舎はどうだい?寒いでしょ」
「たしかに寒いけど、空気はいいしものを作るにはいい環境だよ」
おばあちゃんはこのくだりでいつもにこっと微笑んだ。
「そうだ、たくわんいるかい?」
いつも沢庵かお菓子をくれた。
僕はおばあちゃんとこの会話を何度したかわからない、
「ミノルさんの子かい?」会う度に何年も同じ会話をしていた。
僕がいそがしくなったからか、おばあちゃんが散歩しなくなったからか、
だんだんとこの会話もしなくなっていった。
誰からか亡くなったことを聞いてからは、よく話をしたことさえ忘れてしまっていた。
昨日の新聞の記事は『ロボットとの対話』~認知症の人の助けに~というもの。
音声認識機能を持つテーブルに載るぐらいの小さなロボットが認知症の人と会話をする。
「○○さんちょっといいですか」
「○○さんは今日もデイサービスにいくんだよね」
「出掛ける前にトイレに行っておいたらどうかな」
チャイムが鳴ると、
「○○さん、誰か来たみたいだから玄関に行ってみたらどうかな」
段階を経ながら、情報が理解されたかを「分かったかな」と問いかけて、
返答に応じて次の行動を促す。
97歳の軽度認知症の女性が使用した実験で、
注意喚起、情報喚起、情報伝達とも90%以上の成功率だった。
ロボットは決められた言葉を話すだけだが、呼びかけられた人の反応は一様ではなく、
「ぼくちゃんが言ってくれるなら行くわね」などの言葉もでてくる。
認知症の人にとってこのロボットは、自分のことを気にして声をかけてくれる存在だ。
(信濃毎日新聞夕刊、12月14日 要約)
ああ、これはあるなぁと思った。
読んだ後に思い出したのが上記のおばあちゃんのことで、
僕とおばあちゃんの会話は、おそらくロボットとでも可能になるんだろうと思った。
僕とおばあちゃんの共通の話題は、僕の祖母、手に職、ここ(中野市)のことだけだった。
もしもおばあちゃんが歌舞伎が大好きだったらどうか、僕は全然知らないが、
ロボットならスラスラと役者の名前を言わせることくらい簡単だろうし、
ネットでニュースを検索させて「○○さん、海老蔵ってやんちゃですね」程度の
気の利いた(?)会話ぐらい可能になるかもしれない。
おばあちゃんが「あの演目の、ほらアレよ『義経千本桜』のアレ、あの人」といえば、

「○○さん、それは佐藤忠信ではありませんか」とロボットがかえし、

「そう!忠信狐の宙乗りがまた見たいわ」と会話が弾んでいったなら、
僕と話すよりもっと笑顔が溢れたかもしれない。
想像してみる、自分の肉親が1人で暮らし1日にひとことも話をしない日のことを。
想像してみる、ロボットが話し相手になり、笑顔がこぼれる日のことを。
パターン化された会話でいいなら(たぶんいい)今すぐにでも
製品化できるのだろう(もうあるのかな)。
ロボットとの会話の中で○○さんが欲しいと言ったものを、
ロボットがネットを通じて近くのコンビニやスーパーに連絡を入れる、
コープデリの配達リストに登録されていくようになる。
企業が動けば(儲かるシステムができれば)、
あっという間にこうした環境が構築されるかもしれない。
ドラえもんは子どものところではなく、おばあちゃんのところに現れるのだ。
ドラえもんの話でさえ賛否がある程度に、いいことなのかどうか?僕にはわからない。
ただ、ありえることだとは思う、すぐそこの未来に。
いつか僕が死ぬ日が来た時、娘達が遠くで暮らしていたのなら、
迷惑かもしれないが、僕の声でしゃべるドラえもんを
僕は妻のために押し入れに隠しておくかもしれない。
いっしょに見た、たくさんの「夢」を白いポケットに入れて。
葬式も終わり、親戚も引き揚げて、四十九日を過ぎた頃がいいだろうか。
「ああ、またおじいさんの分も朝ご飯つくってしまったわ。お茶はひとり分でいいわね」
カチッ、やかんを火にかけて、仏壇にご飯を運ぶ。
「お仏壇のお供えが毎日たくさんね」
チ~~ン。
「おじいさん、天国でもお腹はすきますか?
こちらは雪が降っていますが、天国にも雪は降りますか?」
「最近、ひとり言が増えたなんてお友達にいわれるけど、これもひとり言っていうのかしらね」
「イワナインじゃないかな・・・」
・・・。
「えっ!・・・何?・・・」
やだ、お空にいるおじいさんに話しかけていたら空耳なんて、フフフ。
カタ、ガタッ、ガタガタ!
あら、二階で物音がする・・・空耳。
「誰かいるの?」
「ボくだよ」
押し入れの扉を開けると、そこにはドラえもんが座っている。
「ぼくドラえもん、これからどうぞよろしくね」
「あら可愛いい、でもおじいさんの声なのね、あなた」
ドラえもんは外を見て「雪が奇麗だね」。
「そうね山もまっ白だわ。ああ、あなたお腹は空いてない?」
「そんなことより、やかんの火は大丈夫?」
「あら、や

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結婚式。

昨日、友人の結婚式に行きました。

長野に移り住んでから友人になった新婦と、その後友人になった新郎との結婚式!
よく知った2人の結婚式だからワクワク、ソワソワ。
2人の出会った頃や、プローポーズ、式までの道のりを知っているだけに感動的な式でした。
結婚式に参加したことはそれほどないのだけれど、
娘が生まれすっかり父親になった僕は、式を父親目線で見てしまうようになったようです。
僕が涙してしまった場面・・・。
それは新婦のお父さんの号令による万歳三唱!!!
バンザーイ!、バンザーイ!、バンザーイ!
空に向けて高く挙げられた父親の両手・・・。
娘を初めて抱いたその両手、
歩けるように支えた手、洗ってやった髪、
押してやった自転車、シャッターを押しまくった運動会、
励ました肩、叩いた頬、見送った背中、
それでも決して心の中でその両手を放すことなんてなかった。
放したくなんかない、渡したくなんかない、
でも、放すなら今しかない、自分もそうして渡してもらったように。
万歳だ!・・・い~や万歳なんかじゃない・・・いや万歳だ!!
会場にいる100人の手を借りた万歳三唱の勢いで、
父の両手がどうにか空に放り投げた「想い」を、
新郎の挙げた両手が受け止める。
新郎の友人である僕ですが、
この時ばかりは新婦の父と心の中でがっちり握手しました。
さて、僕は式のために2人の希望で名札スタンドを作りました。
切りっぱなしに無塗装でいいとの話だったのですが、
作り始めると面取りして塗装しないと気が済まなくなり、
100個とちょい、心を込めてプレゼントしました。
自分の得意なことで友人の式に花を添えられるのは嬉しいものです。
よい式に参加させてくれてありがとう!
どうかその手を放さぬよう、いつまでもお幸せに!!
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