たまに考えてみる 一覧

武蔵野美術大学、木工工房にて。

先日、恩師である十時啓悦教授に頼まれて、

武蔵野美術大学の木工工房に特別講義をしに行ってきました。
11年ぶりの母校は見たことのない校舎がいくつか建っていましたが、
木工工房は変わらず、懐かしく思われました。
講義は10時頃からということで、信州中野駅5時37分発長野行き、
長野からは新幹線あさまです。
さすがは新幹線、早いのなんのですね。
学生の時に利用していた新小平駅から徒歩30分以上かかったにもかかわらず、
9時半には工房についていました。
家から武蔵美まで4時間くらいでつくとは、意外に近いなと驚きました。
特別講義は3年生の『立体造形』という課題の導入にとのこと。
この課題は3年生までに作ってきた「家具」などの用途のある物から離れて、
自由に立体作品を作ります。
僕が今に繋がる寄せ木の作品を初めて作ったのがこの課題でした。
特別講義にあたり先生からは、僕がこの課題をどう考えて制作に挑んだか、
また、3年生の終わりともなると進路が気になるところなので、
作家活動の道程などを話して欲しいと頼まれました。
前日に講義に使用する写真の用意などしていたら、
やべ12時回った、おっと1時には寝るぞ、
あれ2時って、寝たら逆に起きれないかもと、徹夜に。
まぁいいでしょう、これで講義をする教室には、
徹夜と長距離移動でまぶたが2トンな僕以上に眠い者はいないはず。
僕が寝ないで話しているのに寝たら承知しないぞとばかりに話したせいでしょうか、
生徒のみなさんは最後までよく話しを聞いてくれました。
無事講義が終了し、お昼を挟んで3年生に質問などを受け付けるはずが、
教室に入ると何故か人数が増え、さっきの顔ぶれがいません。
聞くと3年生は必修の授業があり、4年生と2年生が集まっているとのこと?
ってことはもしかして改めて最初から話すということかな?
どうやらそのようです。
学食でお腹も満たされた僕、さぁ俄然眠気も増してきましたよ!
徹夜+長距離移動+学食=睡眠5秒前な僕が話しているのだから、
寝たら承知しないどころじゃないからな!とばかりに話したせいでしょうか、
今回も生徒のみなさんは最後までよく話しを聞いてくれました。
講義終了後、持って行った寄せ木作品を熱心に見てくれたので、
もう少し大きい作品も持って行ってあげればよかったかもと思いました。
さて、ようやく肩の荷が下りたぞと、懐かしい工房をぐるっと一回り。
工房は一階に機械室があり、大きな機械が集中して置いてあります。
一階で製材した材料を二階で加工します。
僕の工房も機械室と加工室の2つに分かれているんですが、
これは武蔵美の木工工房を真似たものです。
先生と話したり、生徒たちと話していると、
やはりこの工房での学びが僕の基本なんだなと考え深くありました。

変わった作品を作っている4年生がいたので話しを聞いてみると、
卒業制作に向けて「からくり人形」をいっぱい作っているとのこと。
基本的には家具をつくる工房なので、
変わったやつだなぁと思いましたが、11年前の自分こそ変わったやつだったわけで、
次に彼に会うときは作家同士であることを切に願います。
僕が大学3年の時に木工家の谷進一郎さんの特別講義がありました。
「オレの椅子をつくる」という谷さんの著作を読んだことのあった僕は、
とても興味深くお話を伺いました。
それから8年が過ぎ同じ長野県で作家活動をしていたことも縁あって、再会。
僕の個展まで足を運んでいただいたりと交流が生まれ、
今度一緒に展覧会をしないかと誘われています。
特別講義の依頼を下さった十時先生と展覧会をさせてもらった時もそうですが、
自分に道を教えてくれた方と、展覧会という踊り場で、
再び同じ時間を共有できることはとても嬉しいことです。
今回、僕の特別講義を聴いてくれた生徒たちの中から、
一人でも多くの作家が生まれ、一緒に展覧会ができる日を僕の夢にしておきます。

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「3・11 鎮魂」

3月11日に福島県会津若松市にあるギャラリー「スペース・アルテマイスター」に、
伊藤慶二「3.11 鎮魂」展 を見に行ってきました。
展覧会の初日である3月11日には、
会場にて、2時46分に黙祷をささげ、伊藤慶二さんのお話の会があり拝聴しました。

僕はスペース・アルテマイスターで2007年に「こてんこてん展」を開催したことがあります。
僕の作品を手にして下さっている方が、東京、長野についで福島県に多いのは、
このギャラリーのお陰です。
昨年中に皆さまにお送りしました個展案内状やクリスマスカードで、
「宛所に尋ねあたりません」と戻ってきたカードの中に福島県の住所が多くありました。
一人一人の方に何が起きたのか知る由もありませんが、
僕が出会った福島の人達の中でさえ変化を余儀なくされた方がいたのかと、
考え深くありました。
長野県北部に住む僕らは、
自分たちの震災としては3月12日の3時59分に起きた長野県北部地震を震災として実感しています。
11日から続く余震のなか、
真夜中に地鳴りで目が覚め強い揺れを感じ「きたか!」と恐怖したことを思い出します。
東北の太平洋岸における津波の被害に伴う悲しみや、
各地での地震の揺れや倒壊の恐怖は、
比べること無く当事者一人一人のものなのだと思います。
それでもこの震災のやるせなさ、悲しみ、怒りを引き受け続けているのは、
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『Ngene(エヌジン)』

『Ngene』という長野の情報サイトで、

『こてんこてん展』を「アートな事件」として紹介していただいています。
なかなか充実な記事になっていますので、ぜひのぞいてみてください。
「なんでや、ワシはしらんがな!
たしかにあの時間は現場にいたがな、なにせ個展やから。
ワシの晴れ舞台やし、年に一度あるかないかやし、福を呼ばなならんし。
ワシ福助やから。
だからって何でやねん、事件やなんて!事件やなんて!
ワシはやってないで、ほんまやで!」
そうそう、やってないって言う人程怪しい上に、アリバイがないので福助を逮捕します!
ガッチャンで、はい、お縄。
これにて、この事件は一件落着・・・、ってそっちの事件じゃないですよ。
じゃあどっちの事件なのかって、
「事件とは、 人々の関心をひく出来事。世間が話題にし、問題となる出来事」
という用法の方なので、福助は落ち着きなさい。
「なんや、そっちかいな。
なんかほれ、シートベルトちゃんとしてて、速度も出し過ぎてないのに、
パトカー見るとドキッとするやん。
事件!なんて言われると、やましいこと無くてもドッキとすんねん。
ワシまたなんかしてもうたかって、今日こそお縄かなって。」
また?やっぱりやましいことあるんじゃないの?
「まぁ、なんて言うんかなぁ、ワシかて昔から福助してたわけやないんやで。
やんちゃしてた頃だってあるし、お天道様をまともに見れない頃やってあったなぁ。
・・・・。
いいか、福助は福呼ぶのが仕事や、そやけど幸福って何なんやろな。
ワシもなぁ、塀の中でいろんな懲りない面々におうたよ。
見た目はあれやけど、話すと面白い奴らばっかやった。
何か共通するもんがあるなんて思って、子どもの頃の話しにまでなると、たいがい泣けるねん。
普通の家に育ったあんたからすれば、
不幸やなんて思ってしまう境遇のもんばっかしかもしれん。
塀の中は彼らを社会から遠ざける壁というより、彼らを社会から守る壁に思えたくらいや。
あんたが思い描くような幸福とはほど遠い場所や。
みてみい、人の幸福をねたむやつ、人の不幸が蜜の味するゆうやつ。
ワシが福を呼ぶ、しかしそれはあんたの幸福だけなんや。
何処かに幸福が訪れれば、何処かに不幸が訪れるそんなもんなのかもしれんなぁ。
その逆もまたしかりや。
『福過ぎて禍生ず』なんてなことも昔っからいわれてきた。
福呼ぶってなんなんやろんぁ、ワシってなんなんや・・・。」
僕にとっては福助さんは福助さんだし、よくわからないけど福っていいよ、すごく。
「ありがとな、ワシ、あんたの福助でほんとよかったわ。
自分の幸福、他人の幸福、願ってみたところで、結局はワシはワシの仕事するしかない。
自分が幸福であれば、周りも幸福なはずと信じるしかない。
そして、その周りの円を少しづつ少しづつ大きくしていくんや!
ええか、今、ワシええこと言ったで!
あんた!迷っている場合か、身を粉にして働け!
なにが幸福かなんて、あんたのような青二才に分かってたまるか。
自分の幸せ考えて、目の前のことがむしゃらにやった先に見えてきたものが、
幸福でも不幸でも!そのまた逆も真なりや!ほな!」
迷っていたのは福助だよね。
結局、結論もどっちつかずでよく分からないし。
脇道にそれ過ぎましたが、「アートな事件」を読んで思うのは、
どんなことでも本気でやっていれば必ず見つけ出して、
そのことを伝えてくれる人が現れるってことでしょうか。
『Ngene』の山谷さんが「アイ・ウェイウェイ展」の僕のブログを読んで、
作品に興味を持ってくれたというのは、正直嬉しかったです。
アイ・ウェイウェイは、世界的に評価されるに至っても、
その表現活動をアートという上辺だけでは済ませられないが故に、
彼と彼が愛する中国という国とを衝突させてしまう。
世界的に活躍することがローカルには彼を縛り付けてしまう皮肉だ。
その国の人の幸福を思って
世界に向けて開いていくことと、世界から閉ざしてしまうこと、
どちらがより多くの人に取っての幸福であるかという選択をするのが政治のすることであるなら、
そこからこぼれ落ちるものを受け止める手段や選択肢はいかにして用意されるべきなのか。
11月6日の毎日新聞の『TPP参加問題』と題するコラムで精神科医の斉藤環さんは、
「自由貿易に固執し続ければ、社会の不平等と格差は拡大し、
優遇された超富裕層が社会を支配することになる。
かくして、自由主義が民主主義を破壊するという逆説が起こる(略)
政治的立場の違いにもかかわらず、ジジェクとトッドの主張が構造的に似かよってしまうこと。
なんと、資本主義と自由貿易がゆきつく“理想の体制”が中国である、
というアイロニーまで同じなのだ。
確かにジジェクが言うように、資本主義と民主主義の結婚は終わりつつあるのだろう。
資本主義(≒自由貿易)が最もその矛盾(恐慌)に直面することなく、
安定的に富を生み出すシステムモデルが、
現代中国のような統制された超格差社会であるとすれば。
アメリカや欧州連合(EU)、そして日本が
富裕層のための社会主義国家に変貌するのも遠い未来のことではないのかもしれない。
この流れを反転させるべく、ジジェクは「コミュニズムへの回帰」を、
トッドは「プラグマティックな保護主義」を提唱する。
現実性という点から言えば、トッドの立場に分があるようにも思われる。
いずれにせよ二人に共通するのは、システムよりも個人を、
つまり壁より卵を擁護する立場だけは決して譲るまい、という覚悟のほうだ。
それがどのような名前で呼ばれようと構わないが、私も彼らの側に立ちたい。
ならば答えは自(おの)ずと明らかだ。私は日本のTPP参加に反対である。」と言う。
今アメリカで起きている反格差社会デモの参加者が見上げるビルも、
アイ・ウェイウェイが衝突する壁も、
壁の色は違えど、中身は似たようなものなのかもしれない。
村上春樹さんが用いた「壁と卵の話し」で誰もが卵でありたいと思うのだろうと思います。 しかいその卵であると思っていた自分が、より「小さな者」から見ればその薄い殻ですら壁でしかなく、 立場を変えれば、自分こそが壁に見られているかもしれない。 ともあれ、どちらが壁でどちらが卵かという問題よりも、 ことの本質はアメリカの若者やアイ・ウェイウェイの見上げる壁は もう崩れ落ちそうな壁であって、卵の衝撃にも怯え始めているということかもしれない。 彼らの怯えが、格差や逮捕というかたちで問題になってきているだけならば、 その壁の向こうにも守るべき卵がいるだけで、取り払われた壁の両側には残されるのは、卵達だけ。 壁が無くなることだけでは解決しないばかりか、 問題の矛先を向けるための壁を両側から支えなければならない状態にさえ思われるくらい。 仮にどうだろう、ほんとうに全ての壁が取り払われた「幸福」な未来があったとして、 それはどれだけ多くの人の「幸福」のことなんだろう。 他人の不幸は蜜の味という幸福のことであれば、 立ち向かう、あるいは守られる壁はある方が分かりやすくていいのかもしれない。 自分の幸福を守ろうとする卵の殻と、他人が守ろうとする卵の殻がぶつかり合うところに壁が出来る。 国単位、民族単位、文化単位でその壁は厚くなり高くなる。 低い壁であれば家族の中にだって立ち上がってしまう。 ならば日本の民家が障子や襖で隔ててきたように、なるべく薄い壁にしてみてはどうだろう。 どうしても壁に衝突してしまう人、壁の向こう側あるいはこっち側にきたい人が、 思い切れば突き破れる程度に薄い壁ならば、 壁はあった方が誰かの幸福を守れるように思う。 「ZZZ・・・Z・うん?・・・あっ、なんや話しは終わったかぁ? わるいわるい、眠くて最後の方よう分からんかったけど、 ワシがいいこと言ったのだけ、忘れないでね。 あんたは身を粉にする、わしは幸福を呼ぶ、それしかでけへん!それでええんや、ほな!」

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