たまに考えてみる 一覧

The World Is Flat , or Not Flat.

「The World Is Flat」(日本訳「フラット化する世界」)は、たしか7年前に読んだ本だ。
インターネットの普及や、中国・インドの台頭などによる、グローバル化の加速、
ここ数年で私たちが経験してきた生活や経済のドラスティックな変化を、
「The World Is Flat」という分かりやすいイメージを示し予測した本だ。

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本棚でホコリをかぶっていたこの本を引っ張りだしたのには訳がある。
昨年の秋に海外からのお問い合わせでこんなメールが来た。
長文な上に情熱がほとばしっているのが
英語が読めない僕にもアルファベットの羅列から伝わってきた。
要約すると「世界を変えるおもちゃ会社を創りたいから協力して欲しい」と。
彼らの気持ちは分かるのだけれど、直感的に難しいなぁと思い、丁寧にお断りのメールを送った。
それでも彼らは、難しいことは分かったけれど、
とにかく会うことだけでもできないかと、日本に来ることになった。
何が難しいかって、端的にいって「世界を変えるおもちゃ会社」であれば、
まだまだ非力ながらも僕ら「テイクジー」だって目指しているのだ。
僕らの夢半ばで、人の夢に協力をしている余裕はない。
「世界を変えるおもちゃ会社」を目指す2つの会社の木のおもちゃを
僕1人がデザインするというのも感覚的におかしい。
もし、協力することを可能にするのであれば、
お互いの夢を同じにすることしかないのではないか。
日本での1回目の会議では、そのような話しをした。
それに対し彼らかの歩み寄りがなく、また丁寧にお断りすることとなった。
1回目と書いたのはその後4回目まで会議は続くことになったからだ。
断りの後、彼らからの歩み寄りがあり、もう一度検討し直すことになった。

いったん本に話しを戻そう。
1回目の会議の時、彼らの提案書の中にこの本の題名が使われていた。
彼ら自身は世界をまたにかけて仕事をするグローバル化された世界の住人であり、
「The World Is Flat」この本を挟んで僕とはもともと表裏の関係にあったのだと思う。
オーストラリア人である彼らが、日本のアーティストと組み、
中国で投資家を募り、アメリカで会社を設立する。
目が回るようなグローバリズムである。

通訳さんの話しを遮って
「ちょっと待って、それ僕も読みましたよ」と本棚から引っ張りだされた本に、
彼らは喜び、「じゃあ、このことは理解できるよね」といわれ、違和感を感じた。
どうやら彼らは「The World Is Flat」を肯定的に読んでいるようなのだ。
この本の著者のトーマス・フリードマンはニューヨークタイムズの元記者であることもあって、
急速にグローバル化されフラット化されて行く世界の諸現象を中立的に書いている。
つまり、世界がフラットになって行くことを良いとか悪いというのではなく、
そういう現象が起きていますと報告しているに過ぎない。
僕はといえば、
このブログの初期の頃(例えばこのブログの記事)をご存知の方であればお分かりの通り、
否定的に読んだのだ。
今読み返すと青臭い記事だなとも思うが、
フラット化する世界なんて何にもいいことはない、そう思っていた。

「The World Is Flat」の表紙に地球が一枚のコインになっているイメージが描かれている。
球体である地球が平らに押しつぶされ、
手のひらに収まってしまう程に小さくなったというイメージなのだろうか。
否定的な読み手側から観ると、このイメージがとても乱暴であることに気づく。
地球が球体であるために、我々はどれほどの恩恵を受けているだろうか。
四季の変化や、朝のきらめき、夕暮れの寂しさ。
それに伴う文化や情緒の起伏や多様性。
まさにこのイメージが表す通り、世界がコイン(お金)にはめられ回るのであれば、
多様性はコストとなり、情緒など取るに足らないものなのかもしれない。
「いやいや経済のことだけをThe World Is Flatといってるんですよ」
ということなのかもしれなが、
やはり球体の上で繰り広げられる個々の人々の起伏に富んだ生活なしに経済は成り立ちはしない。
世界をフラットになどできない。

フラットにできると思っているのは「強者」たちだ。
球体の地球がコインのように平らになった時、自分はコインの表側に立っていて、
コインには裏側ができることを想像できないのだろう。
ましてや自分がコインの裏側で「弱者」になるなんて想像もしない。
フラットな世界の表側に住みたいのなら、英語を話せることは最低条件である。
インターネットやコンピューターに取って代わられる仕事しかできないのであれば、
コインの裏側に住まなければならない。
地球が球体であるということは、せめて日の光くらい誰にでもあたるということ。
言葉の障壁や、空間の障壁、時間の障壁は、反対側からみれば自分を守る殻である。
世界はフラットにしてはならない。

それでもどうか、自分が「強者」側にまわりコインの表側のフラットな世界で、
自分の仕事をより多くの人に見てもらえるというのは、魅力的な話しでもある。
僕も1人の表現者としてそんな欲が自分にあることは正直にいいたい。
2回目、3回目と会議が続いたのは彼らの熱意がほとんどだが、
できないと断りながらも、少なからずのそんな欲が自分の中にあったからだろう。
もしかすれば、コインの表側にいる彼らと、コインの裏側にいる自分が組むことが、
世界がフラットになって行くことに対する
僕なりの抵抗になるかもしれないとは考えはじめていた。
三顧の礼とはよくいったもので、孔明先生でもうなずいたぐらいだから、
僕も歩み寄れる方法を探せるよう真剣に考えた。
先日の4回目の会議、
会議前はそれでも断るものと思っていたのに、なんとかできることを合意していた。
彼らの礼儀には答えなくてはという気持ちから、
彼らの事業の最初のアイデアとサンプル制作までなら一緒にやってもいい、
現時点ではこれが僕の精一杯の誠意ある回答だと思った。

そして、彼らが日本から帰って、メールでの最終的なやり取りをした。
「The World Is Flat」この本を肯定的に読んだか、否定的に読んだか、
やはりそう簡単に分かり合えるものではない。
僕の出した条件が彼らにとっては難しいことだったらしく、
僕の最初からいっていたことを受け入れて、いったん諦めるということになった。
彼らが自分たちだけで会社を興し、僕の条件や、
地球が球体である事実を受け入れてくれた後に、
また同じテーブルに座って話し合うことがあるかもしれない。
彼らの成功と成長を願って。
「The World Is Not Flat」

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武蔵野美術大学、特別講義。

先日、母校の武蔵野美術大学で特別講義をしてきました。
十時先生から、工芸工業デザイン学科の木工工房の3年生に
「作家」として活動していくヒントになるような話しをして欲しいと頼まれたのです。

まぁ、難しく考えすぎずに、
僕は「作家」としてどんなことをしてきたかを話せばいいかな、と思いました。
長野に移り住んでから今までの作品写真や、制作風景、工房の様子、展示風景・・・
大学を卒業後14年分の写真データをパソコンやDVDからひっくり返して、
3年生たちに伝えるべきことをピックアップして、
気がつけば500枚近くの写真が集まっていました。
90分の講義に収まるのか?と心配になりつつも
いくつかの作品をコンテナに詰め込んで、東京は小平へと出掛けました。

大学の3年というと進路のことが頭をよぎるころですね。
就職して「デザイナー」になるか、
自分の手でものを作りつづける「作家」になるか。
大まかに分ければ工芸工業デザイン学科の生徒の進路はこの2択かなと思います。
どのような道に進むにしろ、
木を実際に削りながら学んだ経験を、社会で役立てて欲しいです。

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木工専攻の3年生は多いらしく、
講義をする部屋に入ると、たくさんの生徒がいて驚きました。

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国産の針葉樹で取り組んでいる家具の話しもしました。
生徒たちの中で1人でもいいので、針葉樹の問題に取り組んでいって欲しいです。

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いくつか作品を持っていって、実際に手にしてもらいました。
木工作家にとって作品は商品の側面もあるので、
受け手のことを考え、こだわりや仕上がりも自己満足だけではだめ、
バランスを持って作って行くことなどを話しました。

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僕は木のおもちゃや置き物を作って作家をやって来ました。
一般的に平面的であった寄木や象嵌の表現を立体的に考え、
木の表現の世界を少し押し広げて来たように思っています。
今の生徒たちはきっと
僕には思いもよらない木の表現を生み出して行ってくれるだろうと思います。
質疑応答などからも、生徒たちの真剣さが伝わってきました。
後輩たちの将来が楽しみです!

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午後は2年生を中心に講義をしました。
講義に使用したスライド写真の最初は工房北側からの中野市の風景です。
地方出身の生徒も多いので、田舎で活動する利点などもお話ししました。
僕は田舎の工房から日本全国に世界各国に向けて制作しているつもりです。
大げさなようですが、思っていないことは実現できないので、夢は大きく持ちたいです。

さて、武蔵野美術大学の木工工房は
日本で唯一の四年制大学で木工が学べる場所です。
作家活動をしている中で、自分の技術や、表現、ものを見る目に自信を持ってやって来れたのは、
この日本で唯一の工房で学んだ基礎があったからです。
また、海外の木工作家や木の作品を見ていると、
日本の木工の技術は間違いなくトップレベルにあります。
大げさなようですが、
武蔵美の木工工房で学んだ生徒は必然的に世界がステージだと僕は思います。
1人でも多くの後輩たちが木の表現の世界を押し広げ、活躍してくれることを願っています。

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はだかの王さまのソナタ

『はだかの王さまのソナタ』
むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。
この王さまは少し前まではぴっかぴかの新しい服が大好きで、
服を買うことばかりにお金を使っていましたが、
今は服にはすっかり興味をなくし、
いつもはだかで暮らしていたので、はだかの王様と呼ばれていました。
代わりになのか、王さまは感動することが大好きになり、
感動することにばかりに時間を使っていました。
毎日毎日、劇場や競技場に出かけ、城では大スクリーンのテレビを見て、
感動し、涙を流して喜んでいました。
もっと感動できる演劇はないか、新しい音楽はないか、血湧き肉踊るスポーツが観たい。
しかし毎日感動し過ぎた王さまは、次第に感動が小さくり、なかなか泣けなくなっていました。
それでも王さまは今までにない先端の芸術や実験的な音楽を欲しがり、
大臣たちを困らせていました。
城のまわりには町が広がっていました。とても大きな町で、いつも活気に満ちていました。
世界中のあちこちから知らない人が毎日、おおぜいやって来ます。
ある日、二人の男が町にやって来ました。
二人は人々に、自分たちは作曲家と演奏家だと言いました。
驚くべきことに一人の男は「私は耳が聞こえない作曲家だ。」と言い、
「耳が聞こえないゆえ、耳が聞こえるものには聞こえない音が聞こえ、
それを音楽にすることができる」と言いました。
「とてもきれいなメロディーとハーモニー、この音楽はとくべつなのです。」と作曲家は言います。
「ただし、心根の悪しきものには聞こえない音楽なのです。」と付け加えました。
その話を聞いた人々はたいそうおどろきました。
たいへんなうわさになって、たちまち王さまの耳にも入りました。
「そんな音楽があるのか。わくわくするわい。」と、感動が大好きな王さまは思いました。
「それはきっと最先端の音楽に違いない。どんなに感動できることだろうか。
さっそくその者たちに曲をつくらせよう。」
王さまはお金をたくさん用意し、男たちにわたしました。
このお金ですぐにでも曲を作ってくれ、とたのみました。
男たちはよろこんで引き受けました。
二人は薄暗い部屋とピアノを用意させ、すぐに仕事にとりかかりました。
一人は目をつむり静かに座っています。
もう一人はピアノの前で手を開いたり閉じたりを繰り返しています。
しばらくすると王さまは、はやく感動がしたくて、
仕事がはかどっているのか知りたくなってきました。
自分が見に行ってたしかめてもいいのですが、
もし音楽が聞こえなかったらどうしようと思いました。
そこで、王さまは自分が行く前に、けらいをだれか一人行かせることにしました。
けらいに作曲がどうなっているかを教えてもらおうというのです。
そこで王さまは、けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣を向かわせることにしました。
この大臣はとても心根がよいので、音楽をきっと聞くことができるだろうと思ったからです。
向かわせるのにこれほどぴったりの人はいません。
人の良い年よりの大臣は王さまに言われて、二人の部屋へ向かいました。
「大臣さん、」と演奏家が声をかけました。
「今ちょうど2日間の瞑想の後に音楽が降りてきたところです。」
と耳の聞こえない作曲家がいいました。
「では、さっそくお聞かせいたしましょう」と演奏家がピアノの前に座りました。
大臣は目を閉じ耳をすませていましたが、いっこうに音が聞こえません。
目をあけて演奏家を見ると、手はひざの上に置かれ、指一本うごかしていません。
「おいおい、早く演奏しないかね。」
と大臣はいいましたが、集中している様子で演奏家は気が付きません。
大臣はあきれて、両手を横に上げて作曲家に目をやると、作曲家も両手を横に上げています。
「なあ、なにも・・・」といいかけて、口をふさぎました。
作曲家は横に上げた手でリズムを取りながら体を揺らしているのです。
しかも目には涙を浮かべています。
「大臣、素晴らしい音ですね。感動が溢れ出てきます。」
大臣は目を丸くして演奏家の方を見ました。
演奏家は鍵盤には触れていないにもかかわらず、パラッと楽譜を一枚めくったのです。
「どうです? もっと近くで音楽を感じましょう。
この楽章は叙情的で、演奏技術も超絶的ですごいですし、
今の音、そうこの和音が美しくて、思わずうなってしまいそうでしょう?」
作曲家はそう言って、楽譜ををゆびさしました。
大臣はなんとかして音楽を聞こうとしましたが、どうやっても聞こえません。
しかも、楽譜には何も書かれていないのです。
「大変なことじゃ。」と大臣は思いました。
自分は心根が悪いのだろうか、と首をかしげました。
でもそう思いたくありませんでした。
大臣はまわりを見まわしました。
二人の男がいるだけです。
よいことに、まだ自分が音楽が聞こえない、ということを誰も気がついていません。
『聞こえない』、と言わなければ誰も気づかないのですから。
「美しい心、良き心に、音楽が直接響いてきますね大臣!」
そう言われて大臣はあわててしまい、おもむろに手を横に上げ、体を揺らしてみせました。
演奏家はまた一枚楽譜をめくると、体を小刻みにふるわせ涙を流しています。
「あ……ふぅん。とてもきれいな音で、たいそうすばらしいもんじゃなぁ。」
大臣はメガネを動かして、何もない楽譜をじっくり見ました。
「なんとみごとな楽曲じゃ。それに演奏のあざやかなこと!
王さまもきっとお気にめすじゃろうなぁ。」
「その言葉を聞けて、ありがたきしあわせです。」作曲家と演奏家が口をそろえて言いました。
大臣は聞こえるふりをした時から胸がどきどきと高鳴り、
無音の部屋には自分の心臓の音がこだましています。
そのリズムに体は自然と揺れ音楽を感じたような気がしました。
体を揺すっていたせいか、2人の男の涙に揺すぶられたのか、
自然と(大臣にはそう思われた)涙が頬を伝っていました。
「すばらしい!すばらしい音楽だ。」大臣は叫んでいました。
「そうでしょうそうでしょう」作曲家と演奏家は嬉しそうに微笑みました。
作曲家が「いよいよ最後です」
というと演奏家の集中した表情がゆるみ背筋を伸ばすと楽譜を閉じました。
「『はだかの王様のソナタ』、今の楽曲に命名しました。もう少しアレンジを加えれば完成です。」
作曲家がそう言うと、大臣は思わず拍手をしていました。
大臣は王さまのところに戻ると聞いてきた音楽の素晴らしさを王さまに伝えました。
それからまもなく、王さまはもう一人のけらいを、男たちの部屋に向かわせました。
これも根のまっすぐな人で、有名な音楽評論家でした。
しかし、評論家も大臣と同じように、最初は何も聞こえなかったのです。
どんなに耳を澄ませても音楽は聞こえませんし、
どうしてもからっぽの楽譜にしか見えませんでした。
「どうなされたのですか? もしかして、お気にめさないとか……」
作曲家は不安そうにたずねました。
そして体を揺らしリズムを取ってみせるのです。
「ほら、この王さまのはだかにぴったりのアダージォ、ゆるやか~な……どうでしょうか?」
作曲家は言いますが、音楽が聞こえてきません。
評論家は思いました。
「わたしの心根は悪くはない。しかも大臣は感動したというのに、わたしに理解できない音楽など。
おそらく……この音楽はとてもふうがわりなのだろう。
しかし、このことを、だれにも知られてはならないのだ……」
評論家は少し考えてから、言いました。聞こえない音楽をあたかも聞こえているように。
「たいへんみごとな楽曲だ!完璧、そう完璧なのだ。
無駄な音が一音もない。わたしはこんな音楽を聞けてとてもうれしいよ!」
評論家の声が無音の部屋に響きわたります。
「わたしは今までに多くの楽曲、作曲家、演奏家にふれ、それを言葉にしてきた。
しかしどうか、この楽曲をどう言葉で表現しろと言うのか!
この音楽を表現するにはわたしの言葉は薄っぺらすぎる!
かつてわたしにそう思わしめた者がいるとすれば、
それはベートーヴェン以外に見あたりはしない!」
その饒舌は体も揺らし、評論家は自分の言葉に酔ったように、体を震わせ涙を流しはじめました。
「ありがとうございました」と頭を下げながら演奏家は楽譜を閉じました。
「『はだかの王様のソナタ』、もうすぐ完成です。今しばらくお待ち下さいませ。」
「そうであろう、これだけの曲だ、そうそう完成はすまい。
それより『ソナタ』にしてはちと短くはないか?」と評論家は腕時計をみました。
「え~と、4分33秒くらいであったかな。これでは一楽章ぐらいであろう、
ぜひもう少し壮大な曲にしてみなさい。」
そうして城に帰った音楽評論家は王まに向かってこう言いました。
「たいへんけっこうなものでした。
もし私が今1人だけ天才芸術家をあげろと言われれば、あの作曲家ということになりましょう。」
街はそのめずらしい曲のうわさでもちきりでした。
うわさがどんどんもり上がっていくうちに、王さまも自分で聞きたくなってきました。
日に日にその思いは強くなるのですが、いっこうに曲は完成しませんでした。
王さまはいてもたってもいられなくなって、
たくさんの役人をつれて、二人の男の仕事部屋に向かいました。
王さまはすぐにでも感動したかったのです。
つれていった役人の中には、前に楽曲を聞きに行った二人もふくまれていました。
仕事部屋につくと、
作曲家はいっしょうけんめいに曲をつくり、演奏家は練習をしているようでした。
「さぁどうです、王さまにぴったりな、たいそうりっぱな曲でしょう?」
音楽評論家がみんなに向かって言いました。
「王さま、王さまならこの曲のメロディーをお気にめしますでしょう?」
そして、大臣も音楽に耳を傾け体を揺らしはじめました。
大臣と評論家は他のみんなにも曲が聞こえると思っていました。
でも……
「なんだこれは? 何も聞こえないじゃないか。」と、王さまは思いました。
王さまは自分の心根が悪いかもしれないと思うと、だんだんこわくなってきました。
また、王さまとして恥ずかしいではないかと考えると、おそろしくもなってきました。
王さまのいちばんおそれていたことでした。
だから、王さまは二人の男たちを見て言いました。
「まさしくそうであるな。この曲がすばらしいのは、わたしもみとめるところであるぞ。」
王さまはまんぞくそうにうなずいて、ひざの上に手を置いたままの演奏家に目を向けました。
何も聞こえないということを知られたくなかったので、
聞こえなくても、曲が聞こえているかのように王さまは体を揺らしはじめました。
同じように、王さまがつれてきた役人たちも体を揺らしはじめました。
王さまがふと大臣と評論家を見ると、涙を流しながら「感動した」などとつぶやいています。
あの正直な大臣と、高名な評論家が涙するなんてと、王さまはもらい泣きしてしまいました。
役人たちも涙する王さまの姿に、次々にすすり泣きをはじめました。
無音の大広間に王さまと役人たちのすすり泣く声がが響きこだますると、
誰の耳にも音楽が聞こえるようでした。
「これは美しい、なんて感動的だろう。」
役人たちは口々に言いました。
「王さま、この曲をりっぱな行進曲にアレンジして、
ちかぢか行われる行進パレードのときに演奏してはどうでしょう。」
と、誰かが王さまに言いました。
そのあと、みんなが「これは王さまにふさわしい感動的な曲だ!」
とほめるものですから、王様も役人たちもうれしくなって、大さんせいでした。
そして王さまは、作曲家と演奏家を『王国とくべつ音楽家』と呼ばせることにしました。
街の人々は今度行われるパレードのうわさでもちきりです。
街中にポスターが貼られ、CMが流され、王室の者たちの感動話も広がっていきました。
「聞いたことのない音、よき心にのみ響く」
「最先端の演奏家、心で奏でる音」「全王室が泣いた!」
期待がふくらんでいきます。
「作曲家が耳が聞こえなくなるなんて、つらかったろうに。」
「演奏家の方は常に新しい音楽を求め、専門家から高く評価されているって。」
「もうパレードの前から感動で心がいっぱい!」
パレードの行われる前日の晩のこと、
男たちは楽曲を仕上げるため、たくさんのロウソクをともしていました。
人々は家の外からそのようすを見て、
王さまのための楽曲を仕上げるのにいそがしいんだ、と思わずにはいられませんでした。
作曲家は楽譜のようなものを書き終え、演奏家はピアノの前に座ってなんども楽譜をめくり返し、
『はだかの王さまのソナタ』は完成しました。
「たった今、王さまの新しい楽曲ができあがったぞ!」
王さまと大臣全員が大広間に集まりました。
作曲家はあたかも楽譜が出来上がったかのように高々と掲げてみせました。
そして言葉をまくしたてました。
「この曲は耳の聞こえるものには見えない音符でできあがっております。
何も聞こえないように感じる方もおられるでしょうが、それがこの曲がとくべつで、
かちがあるといういわれなのです。」
「まさしくその通りだ!」大臣はみんな声をそろえました。
いよいよパレードの時間です。
城の門が開き、王様と楽団が、街の大通りに現れました。
だれもが素晴らしい音楽は今か今かと待ちわびています。
いつもならファンファーレと太鼓の音が鳴り響くところですが、
楽団のだれも手を動かそうとしません。
馬車に乗せられたピアノの前に座る演奏家も手をひざの上に置いたままです。
人々は目を見合わせました。
王さまは涙を流しながら、体を揺らし、どうどうと行進しています。
人々は通りやまどから王さまを見ていて、みんなこんなふうにさけんでいました。
「ひゃぁ、王さまのための音楽ははなんて美しいんでしょう!
それにこのピアノの音色と言ったら! 本当に感動的だこと!」
だれも自分が聞こえないと言うことを気づかれないようにしていました。
自分は心根が悪いと思われたくなかったのです。
人々は王さまや大臣、作曲家や演奏家が涙する姿を見ているうちに、
感動しなければという気持ちが、しだいに感動に変わり、
一人また一人と感動の涙にうちふるえはじめました。
感動が感動を呼び、だれもが感動を口にします。
「すばらしい!すばらしい音楽だ。すばらしい演奏だ。」
大歓声と大きな拍手が街中を包み込み、その一体感は人々の心を打ち、
感動が止めどなくおとずれます。
テレビの放送を通しても感動は広がり国中が一つになりました。
音楽が人々の心をつなぎ、孤独や恐れは消え、希望と絆がおとずれます。
王さまが叫びます「神よ、この素晴らしき音楽に、祝福あれ!」
「神の音楽だ!」人々の声はうずとなり、だれの目にも、だれの耳にも感動が響き渡りました。
今までこれほどの感動的なパレードはありませんでした。
「でも、何にも聞こえないよ。だってだれも演奏してないもの。」
とつぜん、小さな子どもが王さまに向かって言いました。
「何にも聞こえない。」
「……なんてこった! ちょっと聞いておくれ、むじゃきな子どもの言うことなんだ。
この感動が聞こえないわけがない。」
横にいたそのこの父親が、子どもの言うことを聞いて叫ぶと、あわてて子どもの口をおさえました。
一瞬街中が凍り付きましたが、人々はすぐに感動の世界にもどっていきました。
すると演奏家が立ち上がり「その子の言う通りだ。もうむりだ、こんなウソつづけられない!」
と叫ぶと、ピアノを弾きだしました。
さっきまで国中に広がっていた音楽が突然やみ、演奏家の奏でる美しいピアノの音が響き渡ります。
怒られてしょげていた少年は立ち上がり「あっ、この曲知ってる、やっと僕にも聞こえた」
といって笑い出しました。
すると、その隣にいた人も思わず吹き出して笑い出し、ピアノに合わせて歌いだしました。
そのまた隣の人も、隣の人と顔を見合わせ、音楽に合わせて体を揺らしだしました。
次から次に人々は笑い出し、歌いだしました。
手をとり、肩をくみ、王さまも大臣も役人も作曲家も歌いだします。
国中の人が歌いだし、踊りだし、音楽に包まれてパレードはいつまでもつづきました。
それは別段新しくもない、ありふれた感動でした。
※「はだかの王さまのソナタ」は
「はだかの王さま」(ハンス・クリスチャン・アンデルセン著 大久保ゆう訳)を改変したお話です。
http://www.alz.jp/221b/aozora/the_emperors_new_suit.html

話しは変わって、
『芸術崇拝の思想』(松宮秀治著)という本に、こんな一節がある。

“「芸術」は今日ではすっかり裸の王様になっている。「わたしは芸術のことはよくわからないのです」というのは普通に受け入れられる言葉だが、「芸術ってそんなに偉いものなのですか」とか「わたしは芸術というヤツがきらいで、その言葉を聞くと虫酸が走るんです」というのはタブーに近い言葉というより、タブーそのものになっている。”
芸術というタブー、そこに身体障がいというタブーやヒロシマというタブーが折り重なり、
しかも虚実ないまぜにされてしまうと、アナタもソナタも裸の王様になってしまったというお話。
彼らが単なる詐欺師であったなら、
断罪してスッキリすることも可能なのだろうけれど、なかなか厄介な話しになっている。
カミングアウト後に初めって知った僕は、ユーチューブで『HIROSIMA』を聴いた。
真実を知る耳を持ってしても、音楽的素養がない上に、
曲がいいことと演奏がいいことの区別がつかないので普通に「すばらしい音楽」に聞こえるし、
一流のオーケストラでの演奏を見てしまうと、
この会場にいれば普通に感動していたかも知れないと思った。
作品はすばらしいのだから、嘘があったとしても、純粋に作品だけを聞けばよいといわれると、
確かにそうだなとも思う。
でも、もし18年前に戻れたとして、佐村河内氏と新垣氏が出会わずに、
何かのきっかけで新垣氏がひとりで同じ内容の交響曲を完成させたとする。
私たちは純粋に作品だけを聞くことができたとして、
その曲が今評価されている(いた)ように「すばらしい音楽」だということになるといえるのか。
ユーチューブの映像にあるオーケストラの演奏の最後に壇上に上がり、
スタンディングオベーションに包まれる人が、
佐村河内氏でなく新垣氏であるという今が成立するということになるのか。
いや、やはりそれはありえない。

ロマン主義以降の「芸術作品」は
「作品」とそれにまつわる「(作者の)物語」を足し算して、あるいはかけ算して創られている。
(ロマン主義は18世紀末ぐらいに起こった。
それ以前の「芸術作品」は「神話」や「聖書」にまつわるものが普通だった。)
ゴッホと聞けば貧乏の苦労人で耳を切ったことを思い出し、
ゴーギャンは「人はどこから来てどこへ行くのか」と言ったとか、
ピカソと聞けばスキャンダルの色も鮮やかであったとか、
太宰の変態的苦悩は作品そのものとか、
岡本太郎は爆発だったりと、
作品は知らずとも作者の人生や発言を知っているってことは、意外に多いと思う。
サルバトール・ダリの「天才になりたければ天才のふりをすればよい」は
佐村河内氏ならきっと知っているはずだ。
ベートーヴェンの難聴はあまりに有名な物語で、
モーツァルトとベートーヴェンを聞き分けられない僕でも、
難聴だったのってモーツァルトだっけ?とはならない。
佐村河内氏の「物語」に騙されてしまったのだから、
これからは「物語」は知ろうとせず「作品」だけを感じるべきだといわれるとそうだなとも思う。
先ほどの『芸術崇拝の思想』の中には既にこんなふうに書かれている。

“「本来ありもしなかった連関」「作者自身も自覚しなかった連続性」「存在もしなかった順序と連鎖」といったものを創り出すことが「芸術神学」の最大目標である。このような連関、連続性、連鎖のなかになげこまれることで、ごくつまらない作品も意味のある作品になってしまう。たとえば著名な物故作家(亡くなられた作家)の習作、手紙、原稿、未定稿や断片などが見つかったときのコメントは、この作家の未解明な部分、謎だった部分に新たな光をあてるきわめて重要な発見とか、またこの作家の成長を跡づける不可欠な資料といった言葉になっているが、よく考えてみると実に馬鹿馬鹿しく、くだらないものである。つまり、これは「連関」という虚構を捏造する作業そのものでしかないのである。どんな大作家、大詩人、大戯曲家といえども、その作家の日記や書簡などは本来読む必要はないものである。作品は作品だけの理解で十分ではないだろうか、そういった考え方で作品を読み直すことが、西欧の近代芸術の研究方法、つまり「芸術神学」を再検討する道を拓いてくれるであろう。芸術家の日記や書簡を読むということは、所詮、芸術家を聖人に祭り上げるための「聖人伝説」の作成につながる作業に過ぎないのである。”
書簡で名を上げたのはゴッホで、書簡で名を下げたのはモーツァルト。
ゴッホから弟テオにあてた手紙には、描いている絵のことや、日本美術が好きであるとか、
絵の具を買うお金を送って欲しいとか、作品理解に役立つばかりか、読み物としても面白い。
ゴッホはこの文学的な才能なくして、今の作品の評価はなかっただろう。
モーツァルトの方は食事中の人が読んでいると申し訳ないので、
ある意味面白すぎるけど今日は伏せ。
たぶんモーツァルト自身が一番伏せておいて欲しかったのだろうけど。
私たちは好きになった作品の作者のことや背景を知りたいという欲求を
抑えることがなかなかできない。
あるいは「物語」を知らなければ理解できない作品はどうすればよいのか。
ジョン・ケージの「4分33秒」という曲がある。
聴いたことがないという方はぜひユーチューブなどで聴いてみて下さい。

いかがでしたでしょうか、何か聴こえましたか。
これを「物語」を抜きにして聴く(観る)と志村さんも加藤さんもでてこないドリフのコントのよう。
しかしこの音のない音楽には、
評論家の言葉を乗せる余白がいっぱいで、解釈もし放題なので、おのずと高評価という訳。

美術作品にもこれとほぼ同じようなマルセル・デュシャンの「泉」という作品がある。
というかデュシャンのコンセプトに影響されたのがジョン・ケージらしいのだけど。
デュシャンの「泉」は男性用便器を横にして置き、側面に名前をサインしただけの作品。
男性用便器をデュシャンが作ったわけではなく、
大量生産の当時の極ありふれた便器だ。(たぶん新品)
「泉」以外にも「レディメイド」と名付けられた一連のオブジェ作品があり、
自転車の車輪やシャベルなんかも作品として展示した。

「はだかの王さま」を読み返した直後に言うのはなんだか恥ずかしいのだけど、
僕はデュシャンの作品が大好きだ。
美術作品を作品足らしめるのは美術館に象徴される権威なのだと考えると、
何が描いてあるのか分からない絵の前を腕組みしながら通り過ぎる人達と、
なぜか横にして置いてある便器の前を腕組みしながら歩く人達は、
作品を見ているのか、それとも美術館を見ているのか、分からなくなる。
男性はトイレに行くと小便器に男性の象徴を差し向けるわけだが、
その対象が横たわり泉という題名なのは、
裸の女性の絵や彫刻が平然と飾られ腕組みしながら眺める美術館ならではのユーモアだ。
私たちが眺めるのは、美術館という分厚い服を着たヌードたちなのかもしれない。

普通に絵描きを目指していたデュシャンは、空港で飛行機のプロペラを見た時、
「絵画は終った。このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。」と言ったそう。
航空力学だか流体力学だか知らないけれど、
当時の最も高い技術で精緻に生み出された流れるようなラインを
デュシャンは美しいと感じたのだろう。
便器はけがれた物の象徴であるようだけれども、
汚物を流し清潔に保つために、その造形はまさに流れるようなラインで構成され、
見ようによっては美しいかたちをしている。
汚れを目立たせ清掃しやすいように、白く輝く陶器でできている。
ちなみにTOTOは元は東洋陶器という会社で、便器は大きな陶芸品なのだ。
あれだけ大きな陶器を歪みなく焼き上げることは技術も素材もとても高いレベルが要求される。
とくに最近の便器は造形が洗練されていて、美しいかたちだなと思うことが多い。
今日の消費社会において、美術作品より工業製品の方が多くの人の関心ごとであるし、
有名ブランドの新作や限定品は多くの人の羨望を集めている。
「絵画は終った。このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。」
デュシャンの言葉は予言だったのだろうか。
デュシャンにのせられてついつい講釈を垂れ流したくなるのは、やはり便器だからか。
ジョン・ケージの「4分33秒」にしても、
デュシャンの「泉」にしても、
この作品以前と以後が線引きできるくらいに、芸術にとって重要な作品になっている。
何やら自分が詐欺師のような気分になってきたけれど、
これらの作品には芸術(純粋芸術)の歴史という「物語」に
フィナーレを書き込んだ上で切り刻む鋭さがあった。
デュシャン以降の芸術は閉じた幕の前に無理矢理出てきたり、舞台袖で、
永遠にあとがきを読み続けているだけ。
だからもう一部のマニアにしか現代の芸術なんて理解がで来ない。
する必要もないのかもしれない。
先端の作者は街の人々ではなくごく少数の評論家や権威に向かって作品をつくり続け、
先端をあきらめた作家は自分にあった団体展に所属して仲間内で作品を見せ合うだけ。
芸術がかつて持ち得ていたダイナミズムはどこにいったんだ~~~。
人々の心をつなぎ、誰の心にも届くような、物語と作品性を持った芸術家。
そうゴッホやルノアールのような、モーツァルトやベートーヴェンのような天才はでてこないのか!
まだ消えぬヒロシマの怒りと悲しみを、
またおとずれた震災の痛みを癒す芸術家が私たちには必要なのだ。
言葉では届かない、お金では埋まらない、理屈抜きの感動と涙。
お待たせしました、佐村河内と申します。
ちょうどよかったのだと思う、TV局こそ、その需要が分かっていた。
しかももう20年近く音楽業界で活躍してきたともなれば、心配ご無用。
あとは僕らが耳を澄ませるだけ。
聴く人によっては懐かしい、聴く人によっては新しい
かつての音楽家たちの心地よい曲に似せ、
日本の叙情や現代の雰囲気をまぶせば、なんと気持ちのよいことか。
アンデルセンの「はだかの王さま」の詐欺師は二人で現れた。
オレオレ詐欺も、まず息子役がでて途中で警察役に変わるとか。
二人いると「物語」が転がりだす。
物語の外側の人はそれに引っ張られてしまう。
漫才師のボケ役が意味不明のことをいっても、ツッコミ役がつっこむことで、笑ってしまう構造だ。
「昨日、東大寺に大仏見に行きまして、眺めてましたら、
隣のおっさんがすごい勢いでスケッチブックにペンを走らしてまして」
「ほう、仏像の絵でも描いとったんか」
「いや、それがな、変なおっさんやな思ってよく見たら、佐村河内さんやねん!」
「おいおい、そら、みうらじゅんさんや。
ロンゲとサングラスはいっしょやけど、仏像を観とんのはみうらさんや」
「いや、ちゃうねん、ほんま佐村河内さんやねん、スケッチブックにグラフみたいなんかいてん」
「おい、そりゃまじで佐村河内さんやんか、他にどんなこと書いてた!」
「それがな、それがやねん・・・言うてもええんかな、お客さんの前で、はずかしいことやねん」
「なに赤くなってんねん、もじもじすな、早よ教えろや」
「あんな・・・マーラー、ドビュッシー、7対3とかなんとか」
「はぁ?」
「なぁ、へんやろ、どんなマーラーを、どんだけドビュッシーすんねん。
あーはずかしいわ、ちょっとへんすぎやろ、やっぱニセモノの佐村河内さんやったんかなぁ」
ベシッ!「アホか!、マーラーも、ドビュッシーも作曲家の名前や」
「へ、じゃあホンモノの佐村河内さんやったんか~、サインもろときゃよかった」
「ホンモノってのはなんか違うやろ、ウソついてたわけやし」
「おう、そうかホンモノは新垣さんやった」
「いい加減にしろ!」
芸術家と評論家もこの関係に似ていて、
作品が意味不明なら意味不明な程、評価しやすく、どんな芸術的文脈にも当てはめやすくなる。
この二人の構造を使うと、片方の一人がどんなに破綻し意味不明に見えても、
ツッコミ役あるいは批評家がまず受け止めて理解を示すため、
裸が裸でなくなって、その解釈が連鎖していくのだ。
自民党に対して共産党がある、資本主義に対して社会主義の国があるという状態は、
一方がアクセルで、もう一方がブレーキの役割をして、
車がドライブしていくにはなくてはならない1つのシステムを成している。
冷戦構造がアメリカとソ連を平和共存させ、結果的に世界秩序は安定していた。
対立しているようでいて、互いが互いを必要とした状態。
よい方向に進めば「共生関係」となり、悪い方向に進めば「共犯関係」となる。
佐村河内氏初期のCDに新垣氏が楽曲解説していて、
出会ったばかりの勢いに弾む二人の関係がかいま見れる。
二人の関係は共生関係から始まっていただろうに・・・と思ってしまう。
『芸術崇拝の思想』は芸術を理解するためにそれを批判的にみる書だ。
著者はきっと「作品」と「物語」を分けて観なさいと言うだろう。
この本を初めて読んだときは著者の言う通りだと思い、共感し、納得した。
でも実際に作家活動をしていると、それは無理だよなぁと今は思う。
「物語」のない「作品」なんてありえるだろうかというのが実感なのだ。
でも「物語」を排さないと、嘘つきや詐欺師が入り込む余地をを与えることになる。
でもその余地なくして新しい作品が芽生える余地も無くなるのではないだろうか。
大変長くなってしまいました。
オリンピックの始まる前に真実を明かしたかった新垣氏の「誠実さ」は分かるのだけれど、
何だろう、日本選手の活躍を見て感動したいのに、いちいち「物語」が邪魔をします。
ノルディック複合の渡部 暁斗選手が銀メダルを取った時に荻原次晴さんが涙する場面を見た時、
思わずもらい泣きしそうになったけれど、
いや「物語」を排さねばと思ったり、
いやこれはほんとなんだからいいだろとか、変な気分になりました。
素晴らしい演技のあとの浅田真央選手の涙に「物語」を読み込まないことは不可能だろうと。
こんなこと考えなきゃいけなくなるなんて、
やっぱり佐村河内氏と新垣氏を断罪して、スッキリさせてもらいたいです。
判決、ウソは泥棒の始まりでですし、えんま様が見ていますよ!
なんてなことを言っていると、うちの娘の声が聞こえてきそうです。
「とうちゃん、えんま様なんていないよ。」

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