たまに考えてみる 一覧

テレビ電話

兄が暑苦しい!
寒くなってきているのに、ひじょうに暑苦しいのだ。
もともと「君の夢はなんなんだい!」と初めて会った人に聞いて、
共にがんばろう!みたいな事を平気で言い出す熱い人なのだが、
今は特別にテンションが高い。
まぁ最近婚約をしたということで、その報告をかねての帰国でとてもめでたくあり、
いたしかたないのだが。
お相手がヨーロッパ人ということもあってか、電話などでのやりとりに目が当てられない。
目が当てられないというよりは、とても危険な状態のもので日本への持込は、
「これをここに固く禁ずる!」と何かの条文に書いてあったまさにその状態。
ぼくはこのような問題に関しましては時代錯誤、古い人間、九州男児かよ!
などとやゆされるほどに、保守派に属していますので、
兄とは言えこの危険因子をひっ捕らえまして、国外退去を命じました。
いささかやり過ぎではないかと言う声も聞こえてきそうではありますが、
インタルネット革命以後の日本における恋愛デバイスの発展にともなう
恋愛期間の長期化または低年齢化、高年齢化の問題(べつに問題ではない)が言われて久しい
昨今においてあえて言いたいのです。
テレビ電話なるものの出現によって、距離、場所、時間を気にせずに行われる、
「2人だけの世界」はあまりにも、襖と障子の文化が生んだ公のなかの私として
生きる日本人の感性(ここではあえてぼくではなく日本人としたい)には馴染まない。
いや馴染んではいけないものであります。
とかなんとか思いつつ兄に呼ばれて
パソコンに付けられたキャメラに向かって手を振ってみる、ぼく。
おおっなんと9時間の時差をものともせず、彼女が手を振り返す。
英語が話せないのだが、なんとなくジェスチャーなどしながら通じ合ってる感じ。
とても笑顔がチャーミングである、いい人に違いない。
文明の力すばらしい!言葉の壁、国境をもこえて、ぼくは今まさに人の心にふれたのだ。
人は変われる、きっとこんなささいなきっかけで。
ぼくはなんて偏屈な人間だったのだろう・・・、
ぼくのような青二才が日本文化を語るなど、なんておこがましいことだろうか・・・。
そうかぼくらは地球人だったんだね、「地球は青かった」んだね!
ガガーリンのこのあまりにも有名な言葉、
正確には「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」なのだそうで、
なんだかわからんけど、ぼくもこんな心境です。
なにはともあれ、「ふたりともどうかいつまでもお幸せに!」。
めでたし!めでたし!
でもやっぱ君らの表現は直接的過ぎて、深みにかけます。
早い話が周りが恥ずかしいので、
2人で日本にくる前には、「めぞん一刻」やあだち充等の書物で
日本における恋愛のありかたを勉強し、「忍ぶ恋」を理解した上でないと
入国は許可しません。

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シベ超!


これ「シベ超」ことシベリア超特急です!
兄がイギリスから帰ってくるのに、今回は飛行機でなくロシア、中国を経由する
シベ超を体験してきたとのこと。
兄の話にわたくしいささか興奮したのであります、マイク・ミズノであります!
シベ超にはロシア人と中国人がいっぱい乗っていて、
同室の中国の方々とは英語が通じず、漢字でコミニケーションしたとのことで、
日本から来たと言ったら途端に「靖国」についてかなり突っ込まれ、
いつの間にか囲まれていていたそうです・・・なんかリアルシベ超って感じですね。
いやぁ~よくわからんけど、シベ超ってほんっとうにいいものですね!
北朝鮮の人たちもけっこう乗っていて、なぜか日本の歌を歌ってくれたそうです。
「は~るを愛するひっとは~♪」など上手だったとか。
(けっこう若い人だったそうなので?ですが、あまり深く考えないようにしておきましょう。)
なにはともあれ漢字で「南北一国」と書いてあげたら、
とても嬉しそうにうなずいてくれたとのことで
中の人の願いは同じなんですねぇって思いました。
中国の人たちも最後には「中日和平」と書いてくれたそうで、
みなさん願いは同じですね。(ちと大げさかな?)
(※ほんとはシベリア鉄道の特急だそうで、超は付かないそうなのでちょっと残念。)
今から兄と数日埼玉に帰ります、けっこう久々ですがほとんど付き合いで終わりそう、
まぁ兄孝行もたまにはよいかな。

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矛盾の山積み

今日の新聞の写真を見て、頭がクラクラした。
何だろうこの変な感覚は?
記事は核実験の追加制裁として輸入・入港を禁止するとのこと。
写真はあの国の船に何やら沢山の物を積んで、日本から最後の出港をするところらしい。
何が積んであるんだろう?
よく見てみると横に寝かされた自転車が、うずたかく積まれているものだった。
余りの多さに、それがそれと分からない程で船から溢れてしまいそうだ。
パンクしたりサドルにビニール袋が被せてあったりと
放置、盗難自転車なんかなのだろう、
つまり使えるけど「日本ではゴミ」ということか・・・。
他にも中古タイヤや中古家電など、明らかに過積載だと思うぐらい山積みされている。
日本のリサイクル店などでは扱えない、「日本ではゴミ」の山積み、矛盾の山積み。
1円でも安く作るために海を渡ってきた大量の自転車がまた海を渡る、
これがグローバル化の実態ですか?・・・
ふと変な感覚が、
?・・・えっとどちらに対する制裁なんだっけ?一瞬分からなくなる。
リサイクルやエコなんて言葉で、夢の島行きをのがれた「ゴミ」たちは、
あの夢見る国で活躍しているんだろうか。
きっと半分くらいほんとうにゴミなんじゃないか。
こんなにも沢山の「日本ではゴミ」を他の国へ押し付けて、
それを禁止する事を経済制裁というのはどんな思い上がりだろうか。
その事に無自覚だとしたら、日本はなんて貧しい国だろうと思った。
ぼくら(先進国)の矛盾を押し付けた国が
矛盾だらけに見えるのはあたりまえじゃないだろうか。
経済的に貧しい国がプルトニウムを買って核保有を目指す矛盾と、
豊かさ(消費活動)を維持するために「ゴミ」を売りつける矛盾を、
あの船に山積みされた矛盾が象徴しているように思えた。
矛盾を過積載したまま船は出港するのことができただろうか?
この制裁の結果行き場を失った「ゴミ」は他の裾野の国へ行き先を変えるんだろう。
目の前の「ゴミ」が消えれば、スッキリした顔で「美しい国」を目指せますか?

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