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素材に導かれて。

母校の武蔵野美術大学の十時教授からの依頼で、
2年生の課題の見本にする寄木の立体作品を制作しました。
美術大学の見本であることが前提なので、普段作っている作品より抽象的なものと思い、
寄木の作業は単純にしながらも、最大限寄木の面白さを感じられるようにと、
頭をひねり、粘土をひねって考えました。

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十時先生から電話をもらった時は、楽しそ〜!とノリノリで始めたのだけれど、
これが「見本」つまりは「お手本」と思うとだんだん緊張感が増してきて、
しかも大学で買い上げてもらうとのことなので、
前回のブログ同様「注文」を受けて作るということは、
「出来が悪い」とか「実験的な作品でちょっと」というわけには絶対行かないと、
図面に入るまで「これで本当にいいのか?」と、思いのほか悩みました。

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寄木の作品は精度が上がれば上がるほど、
初めて見た人には表面だけ塗り分けただけに見えてしまうようで、
今回は造形の中で内側まで無垢の木の色が連続していることが、
一見してわかるようにしてみました。
さて、思い通りにうまくいくかどうか、数日間の楽しくも、緊張の連続の作業です。

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材料の選定、仕上がりのバランス、イメージを考え、黄色く明るい色のケヤキを選びました。
この色味がこの作品の肝になります。

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徐々に寄木の作業を積み重ねていきます。

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厚みの違う板ではありますが、自動カンナで製材できる平らな板を素直に積み重ねています。

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単純な積み重ねを斜めにカットし、削り出した時に面白い表情が出るように狙います。

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普段は幾つかの作品を並行して作業を進めるので、寄木圧着の乾燥待ちの時間はないのですが、
一つだけを仕上げていくと、どうしても待ちが発生するので、
その間に象嵌用のパーツを制作しました。

今回気が付いたことは、寄木を仕事にする人は、
いくつかの作品を並行して作る方が理にかなっているということでした。
寄木の圧着の待ち時間もそうですが、木取り(材料を選定する)の時も、
いくつかの小さなパーツをまとめて同じ材として取れ、捨て材を最小にできます。
また、バンドソーや昇降版で必要な大きさに近い材にしてからなるべく長い時間、
できれば一週間程度置いておけると、その後の材の狂いを最小にできます。
また、圧着の後すぐに次の圧着をすると、
クランプの圧力で材に歪みや内圧が生まれているので狂いやすく、
圧着後も放置しておく時間があると良いです。
つまるところ、寄木作品はゆっくりと進めれば進めるほど、
精度が上がり、完成後の狂いを最小にできることになります。
なぜ自分の仕事が「精度が高い」と言われるのかと考えてみると、
たくさんの作品を同時に並行して進め、
数ヶ月から1年単位で仕事をしているからだと気がつきました。
普段と違うことをすると、改めて勉強になることがあります。

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さぁ、いよいよ寄木が終わり、荒取りです。

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全体的に大まかに削っていきます。

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カンナ作業に入ってくると、形がはっきりとしてきて楽しい時間です。

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寄木が計画通りにラインを描き始め、削り過ぎないように調整を繰り返します。

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ほぼ削り出せたところで、象嵌の位置を決めます。
普段の作品作りでは、削り出す前の材料が四角い状態で、象嵌の下穴をあけておきますが、
今回は寄木の出方が完全に読めなかったので、削った後に象嵌の位置を決めました。
面白かったのは、ケヤキの木目が楕円状に現れ、
作品のイメージにしていた「宇宙」と繋がるように思え、
象嵌を惑星の流れに見えるように、木目に合わせて変更しました。

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象嵌をして磨きあげると、ぐっと締まりが出ます。

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完成写真です。
『朝ぼらけ』という題名にしました。
こちら側が太陽のイメージ。

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反対側が月のイメージです。
黄色味の強いケヤキの色が作品意図にはまりました。
単純な寄木でも、傾きのつけ方や、造形の工夫で、寄木の面白い表情が出せたように思います。
ただ単に抽象的なイメージではなく、誰もが想像しやすい表現にもできたかなと。

「朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に ふれる白雪」

百人一首ですね。
月と太陽でなにか物語を感じる題名と思い考えていたら、
長女が「有明の月は!?」というので、調べてみると、百人一首に歌がいくつかあるようで、 
月と朝日が同居する時間「朝ぼらけ」というイメージが作品としっくりきたので決めました。

さて、ここまでだと美大の課題の見本制作とはいえ「中川らしくない」とか
「大人になってしまったな」と、
誰かにというか、まぁ自分自身に言われちゃいそうです。

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作品中央をバンドソーで切り抜いた余りが綺麗だったので、何かにできないかなと。

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まぁ、こうなりますよね、僕なんで。
周辺部の余りの部分を体にしてみます。
図面を引かないで作ることは普段ないのだけれど、すでに出来上がっている寄木に合わせて、
顔や体のラインを決めていくのも楽しい作業でした。

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なんとなくいけそうな気がします。
見本制作の余りの象嵌パーツを利用して、目や文様を入れていきます。

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おお!これですこれです。
やっぱりこれで、中川岳二の作品になりました。
『朝ぼらけ と 朝ぼう』ということになりますね。
『朝ぼう』は「朝ぼらけ〜」の歌を詠んだ坂上是則ということでもいいかもしれません。

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切り出された元の位置にピタッとおさまります。
そりゃそうだね。

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思わぬよい作品になったように思うので、
美術館で予定している展覧会の時には大学から借りようかと思っています。
前回のブログにも書きましたが「注文は受けぬ」でやってきた僕ですが、
「注文」から自分だけでは考えつかなかった面白さが生まれるな〜と実感しました。
また、普段より作りながら考える所が多かったので、
偶然を味方につけ、木の特徴に合わせて、素材に導かれる作品制作になりました。
依頼してくれた十時教授に感謝するとともに、
この作品を見て生徒たちが学ぶところがあることを願っています。

さてさて、今回の見本制作は、2年生の課題のためでした。
武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科は1年時から2年時前期まで、
木工、金工、陶磁、ガラス、テキスタイル、
インダストリアルデザイン、インテリアデザインを一通り勉強して素材を知り、
2年時後期から勉強を深める専攻を決定していきます。

この課題は専攻選択前の課題であり、
将来どんな素材を専門とする作家になるのかデザイナーになるのか迷っている生徒たちの
最後の判断材料になります。
寄木の削り出し作業は、木の色や木目といった木の魅力を知り、
繊維の方向や硬さや柔らかさなどの性質を体感するよい機会になるはずです。
寄木に用いる色の綺麗な木はどれも硬いので、苦労は多いかもしれませんが、
形が見え始め、寄木が綺麗なラインを描き始めるとワクワクしてくると思います。
そのワクワクを少しでも感じた生徒たちにはぜひ木工を選んでほしいです。

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寄木の圧着に入る前、スライドで作業工程を説明しました。

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助手さんが用意してくれた厚み10mmの板を好きな組み合わせで寄木します。

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4枚ずつ寄木して、この工程を数回繰り返します。

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数日して工房に訪れると、おおっ!
遠目にも存在感があり形と寄木の調和が美しいです。

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ぽってりとした形で不思議な魅力があります。

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上手な作品、センスがあり作ることへの執着を感じさせます。
寄木の効果も上手くでています。

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これもハイレベル、わかりやすい見せ所を作らず、緩やかなラインで繋いでいます。
こういう形で美しさを感じさせるのは難しいので、センスあるな〜と感心、
寄木のラインの出方も綺麗です。

硬い木を削ることに苦労し、思うようにいかなかった生徒もいたかもしれませんが、
木のことや道具のことをもう少し学べば、硬い木を豆腐のように感じられるようになり、
素材を知り素材と向き合えば、自分の技量以上に素材が作品を作ってくれるようになります。
素材に導かれて、進路を決めるのもいいかもしれません。
もし木工を選んでくれて、僕が関わる授業があれば、
木と手が繋がり合い作品を高められるように精一杯応援します。

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先生と呼ばれること。

作家を始めて3年目、もう干支も一周するくらい前のこと、
横浜で個展をしたギャラリーのオーナーが言っていたことだ。
僕が作家というだけでギャラリーのオーナーやお客さんに
「先生」と呼ばれることに違和感があると話すと、
「先に生まれると書いて、先生だからね。中川さんは僕よりもずっと若いけど、
僕は木工の経験は0年だから、木の世界には中川さんが先に生まれていることになるよね。」
と返されて、納得してしまった。

うちの三姉妹を見ていても、
長女は次女の先生であり、次女は三女の先生であることがよくわかる。
どこの家でも2番目3番目の子供の方が、話すのが早くなり、着替えや歯磨きも簡単に覚える。

学ぶことの質にもよるけど、時として子供の「先生」は親より子供の方が向いていたりする。
言って聞かせるよりも、見て真似をする方が早い上に、自発的になれる。
「学び」の語源が「真似る」というのは、どうやら間違いなさそうだ。

先日、母校の武蔵野美術大学で講義をしてきた。
今年は何回か講義があるからか、十時教授が生徒たちに「中川先生です」と紹介してくださり、
ドキッとした。
作家を「先生」と呼ぶのだから、
少し前を歩く木工家として「先生」であることは違いないのだけれど、
工房には恩師である十時先生、田代先生、藤井先生(僕の学生の時の助手さん)がいて、
「中川先生です」と呼ばれるまで、なんとなく生徒側にいたというか、
間違った木工機械の使い方をしていたらケツをひっぱたかれるんじゃないかとか、
考えの浅いアイデアを見せたら厳しく言われるんじゃないかとか、
学生の時の緊張感が工房の中なのか僕の中なのか、今でも残っているらしく、
まさか自分が先生側に立っていると思えていなかった。

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長女のももは次女のうめにとって憧れの存在らしい。
うめはももが絵を描いていると、
ピッタリ横にくっついて、ジーッと色鉛筆の先を目で追っている。
ももが本を読んでいると、横に座って声に出して読んでくれと頼む。
ももが宿題のドリルをやっていると、私も!というので迷路のドリルを買ってやると、
ももが勉強中は迷路をずーとやっている。
気がつけば、うめの絵も僕らが驚くぐらい上手だし、
字は読めないのに覚えた絵本を読んでいたりする。

それだけうめが真似をしたくなる「先生」のももはすごいんだなぁと驚いていると、
三女のさくらはうめのすることがしたくてしたくて、うめの横で真似をしている。
うめもいつのまにか憧れの「先生」になっているじゃないか。

僕も武蔵美の木工工房でうめくらいには成れるように頑張らなくちゃいけない。
僕が先生から学んだように、生徒たちが木工の世界に先に生まれた僕から、
真似をすることが少しでもあれば嬉しい。

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木工工房は来春には、新工房に移転するそうで、
僕が木工と出会ったこの工房とは今年限りでお別れ。
ちょっと寂しいね。

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田代先生、藤井先生と一緒に4年生のアイデアチェック。
結構面白いアイデアが幾つもあったので感心してしまった。
あとは時間の限り手を動かして、試行錯誤して、密度ある作品にできるといいなと思う。
僕が学生の時、スケッチを見せた先生たちに「もっと展開させたほうがいい」とも、
「このアイデアでどんどん進めなさい」ともいわれ混乱したのを思い出した。
一つのアイデアでも先生によっては全く違う意見になるんだなと思った。
学生としては褒めらたほうが嬉しいわけだけど、
否定的な意見もまたアイデアを深めてくれたと思う。

学校を出るとわかることがあって、
先生たちにアイデアを見てもらえるのって、あたりまえだけど今だけ。
下手でもいいのでとにかく見せるものを出すことが大切だと思う。
とくに大事なのはダメ出しをもらえること。
学校を出ると、自分の作品を好きな人と話す機会は増えていくけれど、
自分の作品のダメなところを指摘してくれる人にはめったに会うことがない。
そもそも、だめだなぁと思っている人はわざわざ個展に来てくれないんだね。
褒められることも大事だけど、否定されることは貴重。
あと他の生徒が講評されるのを聞くのも勉強になった。
先生が何を褒めて、何にダメ出しをするのか、先生の感覚を真似するチャンスになると思う。

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The World Is Flat , or Not Flat.

「The World Is Flat」(日本訳「フラット化する世界」)は、たしか7年前に読んだ本だ。
インターネットの普及や、中国・インドの台頭などによる、グローバル化の加速、
ここ数年で私たちが経験してきた生活や経済のドラスティックな変化を、
「The World Is Flat」という分かりやすいイメージを示し予測した本だ。

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本棚でホコリをかぶっていたこの本を引っ張りだしたのには訳がある。
昨年の秋に海外からのお問い合わせでこんなメールが来た。
長文な上に情熱がほとばしっているのが
英語が読めない僕にもアルファベットの羅列から伝わってきた。
要約すると「世界を変えるおもちゃ会社を創りたいから協力して欲しい」と。
彼らの気持ちは分かるのだけれど、直感的に難しいなぁと思い、丁寧にお断りのメールを送った。
それでも彼らは、難しいことは分かったけれど、
とにかく会うことだけでもできないかと、日本に来ることになった。
何が難しいかって、端的にいって「世界を変えるおもちゃ会社」であれば、
まだまだ非力ながらも僕ら「テイクジー」だって目指しているのだ。
僕らの夢半ばで、人の夢に協力をしている余裕はない。
「世界を変えるおもちゃ会社」を目指す2つの会社の木のおもちゃを
僕1人がデザインするというのも感覚的におかしい。
もし、協力することを可能にするのであれば、
お互いの夢を同じにすることしかないのではないか。
日本での1回目の会議では、そのような話しをした。
それに対し彼らかの歩み寄りがなく、また丁寧にお断りすることとなった。
1回目と書いたのはその後4回目まで会議は続くことになったからだ。
断りの後、彼らからの歩み寄りがあり、もう一度検討し直すことになった。

いったん本に話しを戻そう。
1回目の会議の時、彼らの提案書の中にこの本の題名が使われていた。
彼ら自身は世界をまたにかけて仕事をするグローバル化された世界の住人であり、
「The World Is Flat」この本を挟んで僕とはもともと表裏の関係にあったのだと思う。
オーストラリア人である彼らが、日本のアーティストと組み、
中国で投資家を募り、アメリカで会社を設立する。
目が回るようなグローバリズムである。

通訳さんの話しを遮って
「ちょっと待って、それ僕も読みましたよ」と本棚から引っ張りだされた本に、
彼らは喜び、「じゃあ、このことは理解できるよね」といわれ、違和感を感じた。
どうやら彼らは「The World Is Flat」を肯定的に読んでいるようなのだ。
この本の著者のトーマス・フリードマンはニューヨークタイムズの元記者であることもあって、
急速にグローバル化されフラット化されて行く世界の諸現象を中立的に書いている。
つまり、世界がフラットになって行くことを良いとか悪いというのではなく、
そういう現象が起きていますと報告しているに過ぎない。
僕はといえば、
このブログの初期の頃(例えばこのブログの記事)をご存知の方であればお分かりの通り、
否定的に読んだのだ。
今読み返すと青臭い記事だなとも思うが、
フラット化する世界なんて何にもいいことはない、そう思っていた。

「The World Is Flat」の表紙に地球が一枚のコインになっているイメージが描かれている。
球体である地球が平らに押しつぶされ、
手のひらに収まってしまう程に小さくなったというイメージなのだろうか。
否定的な読み手側から観ると、このイメージがとても乱暴であることに気づく。
地球が球体であるために、我々はどれほどの恩恵を受けているだろうか。
四季の変化や、朝のきらめき、夕暮れの寂しさ。
それに伴う文化や情緒の起伏や多様性。
まさにこのイメージが表す通り、世界がコイン(お金)にはめられ回るのであれば、
多様性はコストとなり、情緒など取るに足らないものなのかもしれない。
「いやいや経済のことだけをThe World Is Flatといってるんですよ」
ということなのかもしれなが、
やはり球体の上で繰り広げられる個々の人々の起伏に富んだ生活なしに経済は成り立ちはしない。
世界をフラットになどできない。

フラットにできると思っているのは「強者」たちだ。
球体の地球がコインのように平らになった時、自分はコインの表側に立っていて、
コインには裏側ができることを想像できないのだろう。
ましてや自分がコインの裏側で「弱者」になるなんて想像もしない。
フラットな世界の表側に住みたいのなら、英語を話せることは最低条件である。
インターネットやコンピューターに取って代わられる仕事しかできないのであれば、
コインの裏側に住まなければならない。
地球が球体であるということは、せめて日の光くらい誰にでもあたるということ。
言葉の障壁や、空間の障壁、時間の障壁は、反対側からみれば自分を守る殻である。
世界はフラットにしてはならない。

それでもどうか、自分が「強者」側にまわりコインの表側のフラットな世界で、
自分の仕事をより多くの人に見てもらえるというのは、魅力的な話しでもある。
僕も1人の表現者としてそんな欲が自分にあることは正直にいいたい。
2回目、3回目と会議が続いたのは彼らの熱意がほとんどだが、
できないと断りながらも、少なからずのそんな欲が自分の中にあったからだろう。
もしかすれば、コインの表側にいる彼らと、コインの裏側にいる自分が組むことが、
世界がフラットになって行くことに対する
僕なりの抵抗になるかもしれないとは考えはじめていた。
三顧の礼とはよくいったもので、孔明先生でもうなずいたぐらいだから、
僕も歩み寄れる方法を探せるよう真剣に考えた。
先日の4回目の会議、
会議前はそれでも断るものと思っていたのに、なんとかできることを合意していた。
彼らの礼儀には答えなくてはという気持ちから、
彼らの事業の最初のアイデアとサンプル制作までなら一緒にやってもいい、
現時点ではこれが僕の精一杯の誠意ある回答だと思った。

そして、彼らが日本から帰って、メールでの最終的なやり取りをした。
「The World Is Flat」この本を肯定的に読んだか、否定的に読んだか、
やはりそう簡単に分かり合えるものではない。
僕の出した条件が彼らにとっては難しいことだったらしく、
僕の最初からいっていたことを受け入れて、いったん諦めるということになった。
彼らが自分たちだけで会社を興し、僕の条件や、
地球が球体である事実を受け入れてくれた後に、
また同じテーブルに座って話し合うことがあるかもしれない。
彼らの成功と成長を願って。
「The World Is Not Flat」

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