2006年11月 一覧

伊東豊雄 建築|新しいリアル 展

帰省中にe/さんブログの展覧会情報からチョイスして
伊東豊雄 建築|新しいリアル』に行ってきました。

(せんだいメディアテーク Wikipediaより)
伊東豊雄さんは上の写真の「せんだいメディアテーク」などの作品で知られる建築家です。
長野県では「まつもと市民芸術館」「下諏訪町立諏訪湖博物館」などを手がけています。
なにしろメディアテークは衝撃的なやばい建築で、写真では分かりにくいのですが
柱や壁といった従来の構造体がなく(表現が間違ってるかも)チューブによる「新しい建築」です。
それを超えるやばいのが台湾・台中市に計画中の「台中メトロポリタン・オペラハウス」ですね。
こんな有機的な建築がほんとにできちゃうんですね~、すごいですね~、ただただ驚きです。
有機的といえば、ガウディーやフンデルトヴァッサーが生きていたら
大喜びしてこの建物をタイルとかで飾ってくれそうだなぁと思いました。
そしたらもっとステキになりそうだなぁ、好みですが。
伊東さんの想像力とテクノロジーの進化で
3次元の有機的で複雑な空間を作れるようになったけれども、
実際に立てるのは大工さん達の手ですっていう現場の迫力ある写真などもあり
建物が出来るまでがよく分かる展示で楽しかったです。
建築が好きな方はもちろん、建築家っていったい何する人なの?って方にもオススメです。

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仏像~一木にこめられた祈り~展


帰省中に東京国立博物館に特別展『仏像~一木にこめられた祈り~』に行ってきました。
「一木にこめられた祈り」なんてちょいとオシャレな副題がついていますが、
ようは一本の大きな木から彫り出したんだぜ、どんなもんだい!と言う内容です。
この特別展目玉の仏像は、滋賀県の向源寺からはるばるやって来た十一面観音菩薩立像
門外不出とされていたのに気まぐれにやって来てくれたようです。
ほんとに「美しい!」の一言でした。
奇跡的な出来栄えです。
周りの仏像が素朴な方達だったので、いような程美しく、オーラを放って輝いていました。
これ以上飾り立てるとやりすぎかな?って感じの、ちょい手前、
すごくいい案配で仕上がっていてしばし見とれてしまいました。
僕が好きだなぁと思ったのは木喰(もくじき)の三十三観音菩薩像です。
十一面観音菩薩立像が美人系なら三十三観音菩薩像はかわいい系ですね。
木喰の仏像はどれもかわいい感じで親しみやすく(特別なオーラ?がない)、
誰でも作れそうな感じでいいです。
(もちろん仏像に神様を宿すことは誰にでも出来ることではありませんが)
木喰と並んで円空もいいんですが、小さい頃に父親にやたら見に連れて行かれたせいか、
なぜだか素直に見ることができません・・・不思議です。
円空は生涯に12万体彫った(たぶん自称)ってのがどうも・・・?です。
木喰みたいに2000体位って言われた方が「おお~!」て思えます。
もちろん円空は素晴らしい仏師ですし、好きではあります。
この特別展なぜに一木?で集めたのかよく分かりませんでしたけど、
とてもありがたい方達が集合していますので、
同じ上野公園で開催中のダリ展と合わせて行ってみてはいかがでしょう。
12月3日までです。

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小林武ミニライブ

中野に帰ってまいりました。
すいた高速を帰ってくるのが好きで、いつもは夜中に帰ってくるのですが、
今日は小林武さんのライブに行きたくて早めに実家を出ました。
中野のひとつ手前の小布施で高速を下り会場のギャラリー蔵へ。
あっ、小林武とは言っても当然ですがあの小林武史ではありません。
長野市を中心に活動するミュージシャンであり、webデザイナーであり、
イラストレーターであり、「工芸と和み」のインタビュアーでもある多才な人です。

(開演前に少し練習、緊張感が伝わってきます。)
今日初めて彼の歌を聞いたのだけれど、小林武はやはりミュージシャンなのだと確信しました。
小林さんはギターと歌が大好きなのだろうと思いました。
好きでしょうがないことをいっぱい練習して、
好きだって気持ちで表現すると「伝わる」のだと思うのです。
あの会場にいた人達には、小林さんの思いが伝わったに違いないと思います。
ぼくは彼の歌には悲しみが滲んでいるように思いました。
それは弱者に対する「おもい」であり、弱い自分に対する「おもい」なのかもしれません。
弱い者へ同じ目の高さから、優しい声で話しかける様に歌う姿が印象的でした。
音楽ソフトがいつでも手軽にダウンロードできるようになり、
確実に無価値化していっているのを感じます。
単なるデータになっていく音楽にほんとに大丈夫?って思ってしまって、
感覚がどうしても追いつきません。
無価値化というのは表現が適切じゃないかもしれませんが、
遅かれ早かれ無料化には近くなると思います。
でもそうなると逆に好転することもあるかもしれません。
音楽が巨大資本のパッケージから自由になって、
好み(消費)はもっと多様化し、ライブを聞きに行くという
音楽本来の、あたり前のかたちに戻っていくんじゃないかと思います。
その時はキャッチーでなくとも、ヒットチャートとは無縁でも、
その場にいる人達に伝えることができて、
「よい音楽」をつくることが出来るかという
ミュージシャンの本質的な力だけが問われるようになるんじゃないでしょうか。
儲からないけれど、ミュージシャンにとっては
とても幸せな状況が訪れるんじゃないだろうかと
帰りの車の中で思ってみました。
工芸作家としての願望かもしれないけれど。

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