骨董と工芸。

 先日、長野市にある「ガレリア表参道」というギャラリーに、

『木工家の仏壇と祈りの箱展』を見に行ってきました。
ぼくの行った日は、木工家の谷進一郎さんのギャラリートークもあり、
とても勉強になりました。
トークゲストに小布施町にある銘菓の老舗「桜井甘精堂」社長桜井佐七さん、
木彫仏像を作られている長井武志さんを交えて、
骨董収集家の青山二郎氏のお話を中心に、骨董や仏具のお話を聞きました。

 
谷進一郎さんのお話は学生時代にも聞いたことがあり、
その著作を読んだりして、尊敬している工芸家のひとりです。
谷さんの作品は、一言で言うと「日本にしかない木の家具」だと思います。
日本の木工家具は(かなりはしょって)住宅の西洋化とともに始まっていますので、
日本本来の家具というものはないし(テーブルやイスがなかったように)、
意識せずとも洋家具的に(よいわるいではなく)なってしまいます。
日本の木工家具の歴史が浅いということもありますが、
欧米の木工家の作品も日本の木工家の作品も、
作品だけ見たのでは大きな違いを感じるものは少ないです。
しかし、谷さんの作品は一見して谷さんの作品だと分かるし、
「日本」というものがにじみ出ていて、日本でしか生まれえない家具だと思います。
強い個性をもちながら、時代を超える普遍性を感じます。
作品に普遍性というものが必要かどうかは別として、骨董というのは面白い世界です。
青木二郎氏と桜井佐七さんとの、骨董を通じての交流のお話は、
作品が時代を超えることや、時を経ることで増す魅力という、
工芸家が意識せざるをえないものについて考えさせられました。
工芸家であれば一度は考えたことがあるのではないでしょうか、
何十年後、何百年後に、
自分の作品が骨董屋の店先に列んで、
通りがかった人が何かに吸い寄せられるように足を止め、
ガラス越しにそれに見入る。
何日もそれが頭から離れず、通りがかる度にながめてしまう。
ある日、たまらず店主に声をかける。
「これ、どういうものです?」
「いや、よく分からないものでね、作者とか流派とかそういうのじゃないから。」
「なんの為に作られたものなんでしょう?」
「いや、それもよく分からない、意味とかって時代で変わっちゃうし、想像するしかないね。」
「そうですか・・・よく分からないけど、なんかすごくいいんです・・・。」
「なんかいいんだよね、これ。」
「はい、・・・あの、買いたいんです、これ。」
時代を超えて、意味とか、属性とか、そういうのも超えて、
「もの」それだけから発せられる魅力が、人を引きつけてしまうようなものが確かにあります。
できることなら、そんな魅力を「もの」に宿らすことができたら、と思う・・・。
難しいことだけれど、工芸のよいところは素材自体がすでに魅力を放っていて、
それを理解していれば、かなりの部分たすけてもらえるところかなと思います。
自分の作品が骨董屋にならぶ日がくるかは分かりませんが、
ある意味では、そこからが真の勝負じゃないかと思いました。
いい作品が作りたいものです。

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