The World Is Flat , or Not Flat.

「The World Is Flat」(日本訳「フラット化する世界」)は、たしか7年前に読んだ本だ。
インターネットの普及や、中国・インドの台頭などによる、グローバル化の加速、
ここ数年で私たちが経験してきた生活や経済のドラスティックな変化を、
「The World Is Flat」という分かりやすいイメージを示し予測した本だ。

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本棚でホコリをかぶっていたこの本を引っ張りだしたのには訳がある。
昨年の秋に海外からのお問い合わせでこんなメールが来た。
長文な上に情熱がほとばしっているのが
英語が読めない僕にもアルファベットの羅列から伝わってきた。
要約すると「世界を変えるおもちゃ会社を創りたいから協力して欲しい」と。
彼らの気持ちは分かるのだけれど、直感的に難しいなぁと思い、丁寧にお断りのメールを送った。
それでも彼らは、難しいことは分かったけれど、
とにかく会うことだけでもできないかと、日本に来ることになった。
何が難しいかって、端的にいって「世界を変えるおもちゃ会社」であれば、
まだまだ非力ながらも僕ら「テイクジー」だって目指しているのだ。
僕らの夢半ばで、人の夢に協力をしている余裕はない。
「世界を変えるおもちゃ会社」を目指す2つの会社の木のおもちゃを
僕1人がデザインするというのも感覚的におかしい。
もし、協力することを可能にするのであれば、
お互いの夢を同じにすることしかないのではないか。
日本での1回目の会議では、そのような話しをした。
それに対し彼らかの歩み寄りがなく、また丁寧にお断りすることとなった。
1回目と書いたのはその後4回目まで会議は続くことになったからだ。
断りの後、彼らからの歩み寄りがあり、もう一度検討し直すことになった。

いったん本に話しを戻そう。
1回目の会議の時、彼らの提案書の中にこの本の題名が使われていた。
彼ら自身は世界をまたにかけて仕事をするグローバル化された世界の住人であり、
「The World Is Flat」この本を挟んで僕とはもともと表裏の関係にあったのだと思う。
オーストラリア人である彼らが、日本のアーティストと組み、
中国で投資家を募り、アメリカで会社を設立する。
目が回るようなグローバリズムである。

通訳さんの話しを遮って
「ちょっと待って、それ僕も読みましたよ」と本棚から引っ張りだされた本に、
彼らは喜び、「じゃあ、このことは理解できるよね」といわれ、違和感を感じた。
どうやら彼らは「The World Is Flat」を肯定的に読んでいるようなのだ。
この本の著者のトーマス・フリードマンはニューヨークタイムズの元記者であることもあって、
急速にグローバル化されフラット化されて行く世界の諸現象を中立的に書いている。
つまり、世界がフラットになって行くことを良いとか悪いというのではなく、
そういう現象が起きていますと報告しているに過ぎない。
僕はといえば、
このブログの初期の頃(例えばこのブログの記事)をご存知の方であればお分かりの通り、
否定的に読んだのだ。
今読み返すと青臭い記事だなとも思うが、
フラット化する世界なんて何にもいいことはない、そう思っていた。

「The World Is Flat」の表紙に地球が一枚のコインになっているイメージが描かれている。
球体である地球が平らに押しつぶされ、
手のひらに収まってしまう程に小さくなったというイメージなのだろうか。
否定的な読み手側から観ると、このイメージがとても乱暴であることに気づく。
地球が球体であるために、我々はどれほどの恩恵を受けているだろうか。
四季の変化や、朝のきらめき、夕暮れの寂しさ。
それに伴う文化や情緒の起伏や多様性。
まさにこのイメージが表す通り、世界がコイン(お金)にはめられ回るのであれば、
多様性はコストとなり、情緒など取るに足らないものなのかもしれない。
「いやいや経済のことだけをThe World Is Flatといってるんですよ」
ということなのかもしれなが、
やはり球体の上で繰り広げられる個々の人々の起伏に富んだ生活なしに経済は成り立ちはしない。
世界をフラットになどできない。

フラットにできると思っているのは「強者」たちだ。
球体の地球がコインのように平らになった時、自分はコインの表側に立っていて、
コインには裏側ができることを想像できないのだろう。
ましてや自分がコインの裏側で「弱者」になるなんて想像もしない。
フラットな世界の表側に住みたいのなら、英語を話せることは最低条件である。
インターネットやコンピューターに取って代わられる仕事しかできないのであれば、
コインの裏側に住まなければならない。
地球が球体であるということは、せめて日の光くらい誰にでもあたるということ。
言葉の障壁や、空間の障壁、時間の障壁は、反対側からみれば自分を守る殻である。
世界はフラットにしてはならない。

それでもどうか、自分が「強者」側にまわりコインの表側のフラットな世界で、
自分の仕事をより多くの人に見てもらえるというのは、魅力的な話しでもある。
僕も1人の表現者としてそんな欲が自分にあることは正直にいいたい。
2回目、3回目と会議が続いたのは彼らの熱意がほとんどだが、
できないと断りながらも、少なからずのそんな欲が自分の中にあったからだろう。
もしかすれば、コインの表側にいる彼らと、コインの裏側にいる自分が組むことが、
世界がフラットになって行くことに対する
僕なりの抵抗になるかもしれないとは考えはじめていた。
三顧の礼とはよくいったもので、孔明先生でもうなずいたぐらいだから、
僕も歩み寄れる方法を探せるよう真剣に考えた。
先日の4回目の会議、
会議前はそれでも断るものと思っていたのに、なんとかできることを合意していた。
彼らの礼儀には答えなくてはという気持ちから、
彼らの事業の最初のアイデアとサンプル制作までなら一緒にやってもいい、
現時点ではこれが僕の精一杯の誠意ある回答だと思った。

そして、彼らが日本から帰って、メールでの最終的なやり取りをした。
「The World Is Flat」この本を肯定的に読んだか、否定的に読んだか、
やはりそう簡単に分かり合えるものではない。
僕の出した条件が彼らにとっては難しいことだったらしく、
僕の最初からいっていたことを受け入れて、いったん諦めるということになった。
彼らが自分たちだけで会社を興し、僕の条件や、
地球が球体である事実を受け入れてくれた後に、
また同じテーブルに座って話し合うことがあるかもしれない。
彼らの成功と成長を願って。
「The World Is Not Flat」

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