Facebookをはじめてみました。

まえまえから、影山に「やれやれ」いわれて、
僕は「いやいや」言ってきたFacebookをはじめてみました。

2つも3つも自分のことを発信する場所をもつのがわずらわしいように思えていたのだけれど、
ブログにあまりプライベートなことを書くのが難しいなぁと思っていたところ、
Facebookだと公開する範囲を限定する機能があるとかで、
ブログに書きづらいことや書くまでもないようなことを、
覚え書き程度に書いていくのによいんじゃないかと考えました。

まぁ、このブログの初期の頃のような感じかなと思っています。
個展に来て下さった人にも
「前のようにノホホンとしたブログも期待してます」といわれることがままありましたので、
影山にダマされたつもりでやってみようかなと思います。

Facebookで特に引っかかっているのが「友達」という概念が飲み込みづらいところです。
とりあえずアカウントを取得したとたんに、「友達」になってというメールが来ます。
まだ何も書いていないのに困ったなぁと思いますが、
「友達」になってと言われてほっておくわけにもいかないし、断るのも忍びない。
「友達」というのは「承認」してなるものなのかどうかでも、いちいち頭を抱えてしまう。
実際にいる自分の友達や、
自分としては友達に近い存在として感じているファンの方たちに、
「承認」するかしないか確かめたことなんて一度もないし、
確かめた瞬間に「友達」という関係がゆるぎはじめるように思えます。

影山は「そう難しく考えずに」というのだけれど、
多くの人は気になっていないのでしょうか?
漫画家の浦沢直樹さんの「20世紀少年」という作品を読んでいる時に、
その頃登場しはじめたソーシャルメディアの「友達」を数値化し可視化する人の欲望に、
作品の中で描かれる「ともだち」と呼ばれる宗教に象徴される人の欲望が重なってみえました。
例ば「死」にあらがえないような人の根底に漂う孤独を救済するために宗教はあるわけで、
実のところはある「1つの価値」を信じ合える仲間を求める欲求が重要であり、
教会に集う仲間との一体感をこそ人は求め「ともだち」のいる安心感を得たいわけです。
「死」の瞬間に1人ではないと思えること、
肉体は消えても自分を覚えていてくれる誰かがいること、
宗教でも組合でも部活やサークルでも、重要なのは「ともだち」なのだろうと。
浦沢直樹は天才過ぎると、まぁ思わざるをえないわけです。
我々の関心ごとは「友達」なのだと。
「この指とまれ」、その指が人差し指か親指なのか違いはあれど、
抵抗なしに世界の誰とでも「いいね」ひとつで「友達」になれる。

まぁ、便利じゃないかと、それこそ「いいね」じゃないかと思うわけです。

言い訳が長くなりました。
Facebookをはじめてみましたので、ぜひ「友達」になって下さい。

https://www.facebook.com/takeji.nakagawa.5

Facebookではブログへのリンクの近況以外は、
公開範囲を「友達」に設定していますので、
「ノホホン」とした近況や、上記のような「ヒネクレタ」た近況、
個展の準備などのいち早い近況を知りたい方がいましたら「友達」になりましょう!
もしFacebookのアカウントをお持ちでない方は、この機会に入信してみてはいかがですか。
世界最大規模の安心感があなたを救ってくれるに違いないです。

まぁ、便利なものには気を付けたいですけどね。
僕はまだいまいち使い方がわからないので、「ここが変だよ」とか「こうした方がいい」など
お気づきの点がありましたら教えて下さい。

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